フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月17日(金) 曇り

2009-07-18 11:59:21 | Weblog
  9時半、起床。豚肉とピーマンの炒め、トースト、冷麦茶の朝食。授業の準備をして、12時に家を出る。今日はいくらかしのぎやすい。
  3限は講義「日常生活の社会学」。今回で実質的な講義は終る。最後に14回の講義内容をふり返って、「この中から3問出題します(1問選択)」と宣言する。さらに、よい答案の書き方についてレクチャーする。学生の間には大教室の授業のテストの答案なんて先生はろくに読んでいないだろうという考えがあるようだが、そんなことはありません。少なくとも私は300枚であろうが、400枚であろうが、全部ちゃんと読みます。その上でちゃんと採点します。だからあとから評価について学生から質問が来ても、すべてなぜその評価なのかをちゃんと説明できます。ちゃんとちゃんとの味の素なのである。
  4限は空き時間。ミルクホールで購入したお弁当を食べながら、雑用を片付ける。その間、研究室の電話が何度も鳴る。しつこいくらいに鳴る。すべて外線からなので一切出ない。十中八九テレホンセールスに決まっているからである。家族ならば最初から携帯電話の方へかけてくる。もし誰かからの重要な用件であれば留守電にメッセージを吹き込むだろうから、それから対応すればよい。

         

  5限は研究室で基礎演習の学生7名の夏のレポート相談。ひとわたり相談が終って、雑談へと移行したが、基礎講義の話題が出て、現代人間論系の先生方の基礎講義が一番いいという話になった。私を目の前にして話しているわけだから、お世辞もあるだろうが、たぶんそうだと思う。うちの論系は1コンテンツを1人の教員がフルに使って講義をしている。これは教員数が全論系中最少であるからこそできることで、他の論系では、教員が多いために、1コンテンツを2人の教員で分割したり、複数の教員が座談会形式で話をしたりしている。当然、教員一人当たりの講義時間、発言時間は短いものにならざるをえない。それに比べると、うちの論系のコンテンツは講義をしっかり聴いたという気分になるはずである。
  6限・7限はゼミ。前半は、社会構成主義と自己論の関連を論じた論文についての報告。社会構成主義については片桐先生の「ソーシャル・コンストラクショニズム入門」という講義があって、みんな受講しているものと思っていたら(ゼミの履修モデルではそうなっている)、そうでもなくて、また、受講した学生もイマイチわかっていないようである。社会構成主義は特殊な考え方ではなくて、社会学の基礎理論の1つであるから、夏休みの課題文献に社会構成主義についてのものを加えておこう。

         
                  今日の甘味は「村上」のふくさ餅

  後半はグローバリゼーションやナショナリズムをテーマにした報告。うちのゼミがいまやっていることは、ミクロな話(物語的自己論)とマクロな話(社会の構造や変動)を同時並行で学んでいって、両者を結びつけてものを考えることのできる能力(社会学的想像力)を鍛えようとしているわけだが、いまのところ、理解の度合いは前者の方に深く、後者の方は浅い。これは当然のことで、身近な(というか自分自身の)話題の方が理解しやすいに決まっている。大切なことは、マクロな話題に興味をもてるかどうかである。「難しいけれど面白い」という気持ちがあれば、知識はだんだん増えていくし、理解はだんだん深まっていく。うちのゼミ生たちにはそういう気持ちが間違いなくあるので、大丈夫でしょう。夏休み、授業から解放されて、自分ひとりになったときに、マクロなテーマを扱った本を手に取るかどうか、ポイントはそこですね。ゼミでわいわいやってはいるが、勉強って、基本的には独学ですから。

         
            今日もこんな時間になった(早稲田駅のホームにて)

  11時、蒲田着。「つけ麺大王」で肉つけ麺を食べる。大きなチャーシューが4枚と、炒めた野菜がたっぷりというのが気に入っている。この時間帯に食べるにはご飯よりも麺がいい。帰宅してほどなくして、娘からケータイに連絡が入る。「いま目黒」。会社を出るところのようだ。「了解」と返信し、仕事のメールを一本書いてから、駅に迎えに行く。改札口から出てきた娘は今日はそれほど疲労困憊というふうではなかった。少しばかり涼しい風の吹く夜道を話をしながら帰る。