8時、起床。
朝食はとらず、11時半に家を出て、「まやんち」へ行く。野菜のサンドウィッチとピーチメルバとアイスティ。
本当に今週でピーチメルバがメニューから消えるのかどうか。スタッフさんに尋ねたが、「たぶんそうなります」とのこと。やっぱり。最終日の土曜日にも来るつもりなので、今日は「(今年)最後から二番目のピーチメルバ」ということになる。今日は開店早々だったから問題ないが、土曜日はジムでのトレーニングの後、夕方に来ることになるので、ピーチメルバを電話で予約しておく必要がある。忘れないように。
1時間半ほど滞在し、冷房で少し体が冷えた。アロマスケアビルの前の広場で体を温める。日差しはまだまだ強い。
駅ビル東館の「くまざわ書店」で以下の本を購入。
キャロル・グラハム『幸福の経済学』(日本経済新聞社)
橘木俊詔『「幸せ」の経済学』(岩波書店)
水野和夫・古川元久編『新・資本主義宣言』(毎日新聞社)
ペティカ・ガッパ『イースタリーのエレジー』(新潮社)
「ルノアール」で珈琲を飲みながら目を通す。「成功」と「幸福」は近代人の人生の物語の二大テーマだったが、最近は「幸福」の方に注目が集まっている。理由は、「成功」を手に入れるのが難しくなったからだけではなく、「幸福」を手に入れるのも難しくなったからである。そもそも「成功」と「幸福」は同時に注目されたわけでなく、「成功」を手に入れることが難しくなって、それを補完するものとして少し遅れて「幸福」が注目されるようになったという経緯がある。みんなで成功することは難しくても(社会的資源の希少性ゆえ)、みんなで幸福になることは可能だと考えられていたのである(結婚=家庭の幸福)。しかし、近年の未婚率の上昇は「幸福」も簡単には手に入らないものになってきたことを示している。「幸福」の物語の機能不全を補完するものは、新しいタイプの「幸福」の物語なのか、あるいは「成功」とも「幸福」とも違う第三の物語なのか、それはまだわからない。
『幸福の経済学』と『「幸せ」の経済学』はほとんど同じタイトルである。前者は今年の2月の出版、後者は今年の6月の出版である。タッチの差で「幸福」を先に使われてしまったので、「幸せ」としたのかもしれない。あるいは当初から「幸せ」でいくつもりだったのかもしれない。「幸福の経済学」は「幸福の科学」の姉妹編のような感じがしないでもないからである。
今日はカフェの梯子。「phono kafe」に顔を出し、小腹が減ってたので、おにぎり、ベジミートと牛蒡のそぼろ風、味噌汁を注文する(〆て450円なり)。ここで我慢すれば、体重が減るのであるが、自然が真空を嫌うように、私は空腹を嫌うのである。
夕食のとき、昨日録画しておいた『孤独のグルメ』を観る。我が家の菩提寺がある鶯谷が舞台だったので、井之頭五郎の歩く道は勝手知ったる道だ。仕事の打ち合わせで出てきた「東京キネマ倶楽部」も、珈琲フロートを飲んだ「デン」も知っている。しかし、食事をした居酒屋「鳥椿」は入ったことはない。居酒屋でアルコールは頼まずに食事をすることは可能だが、私はめったにしない。やはりアウェー感はいなめないからだ。五郎も下戸のはずだが、よく入ったな。「鳥椿」の隣の中華料理屋は何度か入っている。安くて美味しい店だが、番組で取り上げるにはインパクト(個性的なメニュー)に欠けるかもしれない。今度墓参りにいったときに「鳥椿」に入ってみようかしら(でも、秋のお彼岸は番組の影響できっと混んでしまっているだろうな)。