フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月16日(月) 晴れ

2006-10-17 02:48:43 | Weblog
  終日、自宅で明日が締切の書類(2007年度時間割)の作成。最初は、午前中に仕上げて、午後はジムに行こうと考えていたのだが、途中で、いろいろとやっかいな問題が散在していることに気が付いた。認識していた(しかし軽視していた)問題もあれば、まったく見落としていた問題もある。事務所や関係の先生方に電話やメールで問い合わせをしながら問題を一つ一つクリアーしていったが、結局、深夜までかかった。しかも、問題がすべてクリアーされたわけではなく、やむを得ぬ事情によりペンディングとなった問題もある。今日ほど「有能な助手が一人いたら…」と思ったことはない。研究に関しては、大久保研究室は一種の個人商店であり、私一人の才覚で切り盛りすればよい。しかし、私は大久保商店の店主であるだけでなく、文化構想学部という新しい街の現代人間論系という商店街の世話役もしている。これがけっこう忙しい。既存の第一文学部や第二文学部の各専修には1名ないし2名の助手がいて、専修主任の仕事をサポートしてくれている。しかるに学生こそまだ入ってきていないとはいえ、半年後に迫った商店街のオープンの準備に追われている文化構想学部の各論系の運営準備委員長(これが正式の肩書)にはそうしたサポーターはいないのである。愚痴を言ったついでにもう一言いうが、論系のための専用の部屋もないのである。論系とは、少なくとも現在の時点では、かくもバーチャルな存在なのである。こうした状態は、論系ではなく、論外というべきものだろう。
  本日の唯一の息抜きは、夜、『のだめカンタービレ』の初回の放送を観たことである。漫画である。しかし『鉄板少女アカネ!!』よりもはるかに面白く観ることができた。それは、第一に、原作の漫画そのものの出来が『のだめカンタービレ』の方が上であること、第二に、原作を忠実に再現しようという異常なほどの執念が『のだめカンタービレ』には感じられること(とくに主人公役の上野樹里の演技は天真爛漫を通り越して「危ない」領域に入っていた)、第三に、漫画では表現できない音楽(今回はモーツァルトの「二台のピアノのためのソナタ」)がTVドラマの中では華麗に鳴り響いていたこと、などの理由による。肩凝りはをほぐすにはもってこいのドラマかもしれない。

10月15日(日) 晴れ

2006-10-16 01:30:22 | Weblog
  早起きしてフィールドノートの更新。授業があった日は疲れる。深夜、睡魔と闘いながら更新作業をするよりも、サッサと寝て翌朝に作業をした方が身体にはよいだろう。
  昼食をとりがてら散歩に出る。やぶ久で本日の日替わり定食(すき焼き丼と山菜そば)を食べてから、ラゾーナ川崎プラザの丸善に行く。今月創刊された朝日新書(12冊)から以下の4冊を購入。

  姜尚中『愛国の作法』
  外岡秀俊『情報のさばき方-新聞記者の実戦ヒント』
  清水良典『村上春樹はくせになる』
  宮崎哲弥『新書365冊』

  それから文具コーナーで、モールスキンのダイアリー(ラージサイズで一日一頁タイプ)と能率カレンダー(ステッカータイプ)を購入。新川橋通りの古本屋にも回ろうかと考えたが、少しばかり風がひんやりしてきたので、また別の日にということにした。これから冬にかけてはちょっと油断をするとすぐ風邪を引く。厚手の長袖シャツを早く収納箱から出さなくては。
  帰宅して昨日ビデオに録っておいた長澤まさみ主演の『セーラー服と機関銃』の初回を観た。それほど期待していなかったのだが、面白かった。この秋のドラマのダークホース的存在になるのではなかろうか。女子高生がヤクザの組長の跡目を継ぐという設定は荒唐無稽だが、目高組の5人の組員(映画では4人だった)の配役がいいし、演出のキレもいい。組員の人数の他に、主人公が組長の跡目を継ぐ決意をするまでの出来事の順番が映画とは違う。映画では組長になる決意をした後に、彼女のマンションに空き巣が入り、警察から父親の交通事故死が実は他殺の可能性があることを知らされるのだが、テレビでは空き巣事件と父親の死の謎を知ってから(知ったからこそ)組長になる決意をするのである。もしかすると、テレビの今後の展開は、映画とはかなり違うものになるのだろうか? ある意味(それは言わない方がいいだろう)、その方がテレビ向きかもしれないと思う。主題歌は映画を踏襲しているが、歌手は長澤まさみ(役名の星泉を使っている)で、残念ながら歌唱力に関しては薬師丸ひろ子に遠く及ばない。
  夕食(もつ鍋)の後、堀北真希主演の『鉄板少女アカネ!!』の初回を観る。これは漫画である。漫画が原作であることはわかっている。そのことを言っているのではない。TVドラマになっていないということを言っているのである。こういうタッチの作品を作りたいならばわざわざ生身の役者を使う必要はない。アニメでやればよい。その方が数倍面白いものになるだろう。プロダクションは堀北真希を潰す気か。

       
              明暗分かれる(蒲田駅のホームにて)

10月14日(土) 晴れ

2006-10-15 07:26:32 | Weblog
  朝、フィールドノートの更新をしてから家を出る。蒲田駅に着くと、沿線の火災の影響で京浜東北線が止まっていたので、多摩川線→目黒線(南北線に接続)→東西線と乗り継いで大学に到着。2限の授業(社会学基礎講義B)に10分ほど遅刻(電車の中から教員ロビーに電話を入れて遅刻する旨を教室のホワイトボードに書いておいてもらった)。
  昼休み、研究室で食事(コンビニのおにぎり3個)をしていたら、女子学生が2人やってきて、先日の社会学専修のガイダンスに出られなかったので当日配布した資料をもらいにきましたという。先週も同じことがあったが、私の研究室に来てもそういうものは置いていない。社会学研究室(32号館101)に行って助手さんからもらって下さいと言おうとして、今日は土曜日だから101は閉まっていることを思い出す。何か質問があったら答えられる範囲で答えますがと言って、しばしおしゃべり。専修進級をめぐって、これからしばらく1年生にとっては悩ましい季節である。
  3限の授業(社会学研究10)の後、研究室で卒論の個人指導を一件、演習の発表の相談を一件。テーブルの上に散乱している書類を片づけてから(来週研究室に来たとき気分がいい)、午後6時、研究室を出る。
  夜、『たったひとつの恋』の初回を観る。既視感のあるドラマである。恋愛はゲームに過ぎないと醒めた口調で語る主人公の青年(亀梨和也)のキャラクターは、1年前に亀梨が演じた『野ブタ。をプロデュース』のそれに酷似している。小さな町工場の従業員と宝石商の社長令嬢という階層差の大きな男女(それも男<女)の間の恋愛というパターンは、最近では『恋におちたら』で使われている(草剛と松下奈緒)。ヒロイン(綾瀬はるか)が健康上の問題(それがはたしてどれくらい深刻なものなのかは初回だけではよくわからなかったが)を抱えているという設定は、『ラストクリスマス』(織田裕二と矢田亜希子)や『ビューティフルライフ』(木村拓哉と常盤貴子)や『世界の中心で、愛をさけぶ』(綾瀬はるかがTVドラマ版のヒロインを演じていた)を連想させる。主人公とヒロインが恋に落ちるきっかけがプールに一緒に転落するハプニングであるというのも『恋におちたら』とまったく同じである。つまり、北川悦吏子の脚本は、冒険を冒さず、近年ヒットしたTVドラマ(そこには彼女自身のものも含まれている)の筋書きや場面を再利用する形で作られた一種のコラージュ、「ヒットした恋愛ドラマ」の見本帳のような趣がある。もちろんあらゆる物語はすでに存在する物語からの引用で成り立っているのだと開き直ることはできる。ただ、私が気になるのは、北川悦吏子がそうした引用・模倣をかなり意識してやっていて、TVドラマ好きの視聴者がそれに気づいてくるれることまでを計算に入れている、と感じられる点である。映画にはそういう作品がときどきあって、すれっからしの映画ファンはそれをニタニタ楽しんだりするわけだが、若者向けの恋愛ドラマでそれをやることの積極的意味はどこにあるのだろうか。要するに才能の枯渇ということではないのか。…というきつい言い方を私がするのは、ドラマの中で、「慶応大学」がチヤホヤされているのが気にくわないという心理が働いているのでしょうね、たぶん。ちなみに北川悦吏子は早稲田大学第一文学部の出身である。

10月13日(金) 曇り

2006-10-14 08:35:09 | Weblog
  午前中、ちょっと厄介な案件のために何本か電話をする。授業のある日に授業以外のことでエネルギーを消費するのは避けたいのだがしかたない。
  昼から大学へ。3限の社会学演習ⅡBでは後期のグループ研究のグループを決めた。希望格差社会のさまざまな場所に位置する人々(高齢者、ワーキングミドル、専業主婦、若いサラリーマン・OL、フリーター、大学4年生、子ども)にインタビュー調査を行い、彼らの人生の語り(ライフストーリー)の分析を通して、現代人と社会との関わり方を見ていくというのが研究全体のねらいである。研究の成果は12月の鴨川セミナーハウスでの合宿で報告される。4限の大学院の演習はM2のT君の修士論文(「ひきこもり」をテーマにしたもの)の中間報告。5限まで延長して行う。ミルクホールで買い求めたあんドーナツ一個でエネルギーの補充をしてから6限の「現代人の精神構造」に臨む。前回時間のかかった出席カードの配布は大学院生のI君に依頼する。配布の方はこれでよいとして、まだ回収のやり方に改善の余地があるようだ。講義の途中から室内の温度が高い感じがしたが、空調のパネルがどこにあるかわからなかったので、そのまま最後まで続けたら、何枚かの出席カードの裏に「暑かった」と書いてあった。改善すべき点は尽きない。講義の後、何人かの学生から質問を受けたが、その中に以前私の基礎演習の学生だったOさんとKさんがいて、現在二人が所属しているY先生の演習のグループ研究の相談を受ける。文カフェのテーブルに場所を移して話を聞いたが、なにしろ他の先生の授業に関する質問である。そこまで面倒見るのか…と我ながら呆れたが、気づいたらグループ全員(6名だったか)で近々私の研究室に来るという話になっていた。「ごんべえ」でI君と夕食(カレー南蛮うどん)をとる。あゆみブックスで嵐山光三郎『悪党芭蕉』(新潮社)を購入。
  午後10時、帰宅。風呂を浴び、明日の講義の準備を済ませてから、昨日録画しておいた藤原紀香主演の『だめんず・うぉ~か~』を観る。藤原紀香はえらい。どんなに美しい女優にも魅力のピークというものはある。そのピークを過ぎた(過ぎつつある)頃というのは誰よりも自分がそのことを痛切に感じるはずだから、そうした時期に、ピークを過ぎた(過ぎつつある)女性という役所を引き受けることはかなりの決断を必要とするはずである。しかもいまピークに向かって右肩上がりの若手女優(モデル)山田優との共演である。よく引き受けたと思う。藤原紀香はえらい。私は彼女を断固応援せずにはいられない。もちろん私は山田優のファンでもある。お願いだから、彼女にあんまりバカっぽい役をやらさないでほしい。

10月12日(木) 晴れ

2006-10-13 02:54:31 | Weblog
  昼から大学へ。99年に一文の社会学専修を卒業し、現在はワシントンDCでバリバリ働いているMさんが、妹さんの結婚式に出席するため休暇を取って日本に帰ってきていて、今日、研究室に顔を出してくれた。すず金の鰻重を食べながらあれこれ話をする。見た目は小柄で、典型的な日本人顔の彼女なのだが、実にタフで、コスモポリタンである。どこへ行ってもやっていけそうな感じである。ちなみに旦那さんはフランス人で、お土産にフランスのチョコレートをいただいた。

          
           フランスのチョコレートは芸術の香りがする

  午後2時から新学部の基礎演習の教本の件で編集者と打合せ。午後3時半から二文生のKさんの卒論指導。4時半から一文の卒論演習。前回に引き続き章立て案を提示して説明してもらう。最初の報告者のところで私がいきなり厳しい指摘をしたものだから、一瞬にして室温が10度ほど下がり、全員凍りつく。急にお腹が痛くなる者もいた。さすがにこの雰囲気を最後まで引きずるのはよろしくないと思い、次の報告者から1度ずつ温度を元に戻して行く。5人目あたりでようやくクスリと笑い声が出て、終わる頃(7時)には室温はほぼ元に戻っていた。メーヤウで夕食(タイ風レッドカリー)をとり、7限の基礎演習に臨んだ。10時半、帰宅。風呂を浴び、録画しておいた『Dr.コトー診療所2006』の初回を観た。老舗の貫禄である。明日の準備があるので、同じく録画した『だめんず・うぉ~か~』は後日回しとする。