9時、起床。豚肉のスープ煮、トースト、オレンジジュースの朝食。ケータイに義弟から「今日は小山台と雪谷の応援に行かないのですか?」というメールが届く。夏の高校野球の東東京予選で小山台高校(私・妻・息子の母校)と雪谷高校(娘の母校)がベスト8に勝ち進んでいて、今日、それぞれベスト4入りをかけた試合があるのだ。知らなかった。そういえば妻がそんなことを言っていたかもしれない。私は野球にあまり関心がなくて、プロ野球のオールスター戦をいまやっていることも知らなかった。でも母校には頑張ってほしい。球場に応援には行かないが、心の中で声援を送ることにしよう。
「日常生活の社会学」の答案の採点にとりかかるが、なかなかペースがあがらない。昼食は息子を誘って喜多方ラーメンを食べに行く。和風の冷やしラーメンを注文したが、道を歩いているときは暑かったが、店内は冷房が効いているので、待っている間に汗が引いて、これなら普通のラーメンでもよかったように思う。こういうことはよくある。夏といえばカキ氷だが、カキ氷を食べる最適の場所は、お寺の境内の風通しのいい茶屋か海の家である。
食事のあと、本屋に行くという息子と別れて、「テラス・ドルチェ」に珈琲を飲みに行く。家を出るとき上着を引っ掛けてくるのを忘れてしまったので、店内の冷房を少々きつく感じながら、持参した山田真茂留『<普通>という希望』を読む。山田さんは公的なことと私的なことを分けて考えようという姿勢のはっきりした方で、とくに公的な領域に私的なものが侵入してくることを回避・拒否しようとするが、面白いのは、そういう山田さんも本書の「注」の部分では個人的なエピソードをしばしば語っていることだ。つまり「本」(学術書)は全体としては公的な領域に属するものだが、その内部において、「本文」が公的領域、「注」が私的領域という相対的な棲み分けが意識されているのだ。現代社会に広く深く浸透している表出的個人主義(私的な感性やライフスタイルを重視するタイプの個人主義)に山田さんは批判的だが、それは山田さんが表出的個人主義から超然としているからではなく、それに膝あたりまで浸かりながらもそのことに自覚的であるからである。
有隣堂で『村上春樹『1Q84』をどう読むか』(河出書房新社)を購入。35名の論者による『1Q84』論が載っている。賛否両論なのだが、以前から村上春樹に好意的な人は『1Q84』にも好意的だし、村上春樹に批判的な人は『1Q84』にも批判的である。村上春樹は好きだが今回はどうもねという人や、反対に、村上春樹は嫌いだったけど今回は見直したという人は、全体をパラパラと読んだ限りでは、一人もいなかったように思う。評論家にとっては、自分のこれまでの考えを修正するというのは難しいことなのだろうが、それでも、どこか頑なな感じがしてしかたがない。「村上春樹」という作家は評論家たちにとってのリトマス試験紙みたいなものなのだろう。
深夜、フジテレビの「26時間TV」のコーナーの1つで、私が一番(というか唯一)楽しみにている明石家さんまと島田紳助のトーク(スマップの中居くんも同席しているが二人のトークのスピードについていけていなかった)を視聴する。先日の「笑っていいとも」で冒頭のトークコーナーでたもりとさんまの50分近いトークが話題になり、私もユーチューブで視聴したが、かつてさんまが「いいとも」のレギュラーだった頃に比べると、ギクシャクした感じがいかんともしがたかったが、さんまと紳助は若い頃から同じ吉本で切磋琢磨してきた間柄だけあって、自然体にしてかつ巧妙で、3時間にわたるトークを大いに楽しませてもらった。
高校野球の方だが、小山台は成立学園に2-3で惜敗したが、雪谷は国士舘を7-5で破って準決勝に進出した。