水曜日は、午前中雨が降ったので、予報では
午後から雨ということですっかり走るのはお休みモード
になってしまい、実際には走れる天候ながらお休みに
してしまいました。実際には、メインマシンの復旧から
書斎の片付けと一番手のつけられていなかった事業に
着手して毎日ほこりとあふれる資料との戦いでした。
そんなもので走りに行くのも寒くなっていてつい休みと
するとなかなか走りに行く時間も取れないのです。
次の木曜は07分で走れて、金曜は時間がなく、夜影森
コースを走り、例年の農協のライトアップのもみじを
観ました。
昨日から市内にはリッュクを背負った年寄りが街をそぞろ
歩く姿が多数見受けられ、何かまた番組かニュースで取り
上げられたのでしょうか。友人の民宿は、伍代夏子の旅
番組が再放送されてまた予約が入ったとか。景気のいい
話はうれしいものです。
私は、今週読み始めた『大いなる看取り』という本を読了。
ちょっと前まで、日経にも山谷をテーマとした記事が連載されていて
何かと気になるところではありました。そのかつては、やくざが
日雇い労働者を集める場所も労働者自体が高齢化して労働者の
街ではなくなり、かつてのドヤ街もビジネスホテルや外国人を
ターゲットにした格安宿に変身を遂げたために集まる人も
外国人観光客やビジネスマンにとってかわられつつあると
いいます。そんななか、この地にホスピスを建てた方がいて
そこに入居する人のドキュメントがこの本です。
まず目新しい情報として、山谷という場所が私は、ずっと東京と
神奈川の境目あたりの川崎の近所だと思っていたのですが、
もっと北の方のそれも観光地の浅草の上だと知り、長年
誤った情報を持っていました。ちょっとした興味もあったものの、
別に用事もなく、山谷に入ってみたこともありませんでしたが、
先の新聞のようにマスコミなどには時々この街は取り上げられて
います。それはこの街にだけ存在する空間というものを待って
いることとホームレスの生態など非日常でありながら誰でも
そんな転落の人生に陥りやすいという人生の陥穽を感じつつ
遠くから見てみたいという興味をかきたてるテーマなのです。
そして、覗き見的興味とともに、高齢化というこれから我々
日本人が直面する社会にどう対処すべきかという指針もこの
山谷にできたホスピスが示してくれるのではという淡い期待
も交錯します。何かと格差社会とかこれから来る不況の世界
では、高齢化したホームレスが街にあふれそれをどう社会は
許容し介護していくのか、地域社会には大きな負担ですが、
それをやってこそ我々が築いてきた文明社会です。
ただ格差だからとか不況だからというあきらめの気持ちで
あふれてしまったホームレスを隅に囲うだけでは済まされ
ません。この本もホームレスの半生や多彩な人生模様を
ただクローズアップするだけなら、意味がないのです。
この本のように興味を持って集う人、最後を看取ろうという
民間の施設と取り巻く人間模様をもっと理解し、もっと
強くセーフティネットとしての役割を世に訴えてこそ本と
しての意義があると思います。
残念ながら、読む人としては普段の生活や自分の生活より
悲惨な人がいるという安心感として手に取る人の方が多い
気がしてなりません。所詮ジャーナリズムのきれいごとの
ような本の種にしてしまったという反感もちょっと持ち
ました。
午後から雨ということですっかり走るのはお休みモード
になってしまい、実際には走れる天候ながらお休みに
してしまいました。実際には、メインマシンの復旧から
書斎の片付けと一番手のつけられていなかった事業に
着手して毎日ほこりとあふれる資料との戦いでした。
そんなもので走りに行くのも寒くなっていてつい休みと
するとなかなか走りに行く時間も取れないのです。
次の木曜は07分で走れて、金曜は時間がなく、夜影森
コースを走り、例年の農協のライトアップのもみじを
観ました。
昨日から市内にはリッュクを背負った年寄りが街をそぞろ
歩く姿が多数見受けられ、何かまた番組かニュースで取り
上げられたのでしょうか。友人の民宿は、伍代夏子の旅
番組が再放送されてまた予約が入ったとか。景気のいい
話はうれしいものです。
私は、今週読み始めた『大いなる看取り』という本を読了。
ちょっと前まで、日経にも山谷をテーマとした記事が連載されていて
何かと気になるところではありました。そのかつては、やくざが
日雇い労働者を集める場所も労働者自体が高齢化して労働者の
街ではなくなり、かつてのドヤ街もビジネスホテルや外国人を
ターゲットにした格安宿に変身を遂げたために集まる人も
外国人観光客やビジネスマンにとってかわられつつあると
いいます。そんななか、この地にホスピスを建てた方がいて
そこに入居する人のドキュメントがこの本です。
まず目新しい情報として、山谷という場所が私は、ずっと東京と
神奈川の境目あたりの川崎の近所だと思っていたのですが、
もっと北の方のそれも観光地の浅草の上だと知り、長年
誤った情報を持っていました。ちょっとした興味もあったものの、
別に用事もなく、山谷に入ってみたこともありませんでしたが、
先の新聞のようにマスコミなどには時々この街は取り上げられて
います。それはこの街にだけ存在する空間というものを待って
いることとホームレスの生態など非日常でありながら誰でも
そんな転落の人生に陥りやすいという人生の陥穽を感じつつ
遠くから見てみたいという興味をかきたてるテーマなのです。
そして、覗き見的興味とともに、高齢化というこれから我々
日本人が直面する社会にどう対処すべきかという指針もこの
山谷にできたホスピスが示してくれるのではという淡い期待
も交錯します。何かと格差社会とかこれから来る不況の世界
では、高齢化したホームレスが街にあふれそれをどう社会は
許容し介護していくのか、地域社会には大きな負担ですが、
それをやってこそ我々が築いてきた文明社会です。
ただ格差だからとか不況だからというあきらめの気持ちで
あふれてしまったホームレスを隅に囲うだけでは済まされ
ません。この本もホームレスの半生や多彩な人生模様を
ただクローズアップするだけなら、意味がないのです。
この本のように興味を持って集う人、最後を看取ろうという
民間の施設と取り巻く人間模様をもっと理解し、もっと
強くセーフティネットとしての役割を世に訴えてこそ本と
しての意義があると思います。
残念ながら、読む人としては普段の生活や自分の生活より
悲惨な人がいるという安心感として手に取る人の方が多い
気がしてなりません。所詮ジャーナリズムのきれいごとの
ような本の種にしてしまったという反感もちょっと持ち
ました。