King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

溶けいくもの

2009年04月23日 23時34分40秒 | スキー
日本では、こつこつと努力することは例え目立った
成果が出なくても、その姿勢は評価され努力を続ける
だけで評価されます。

孟子の教えで、努力の量を誇る人がいるがおろかなことだ
といいます。人より高く上ったことを誇る人にあなたは魚を
取るために努力したのに木に登ってしまった。せっかく
努力してもその方向性が違えば意味がないと諭しました。

中国では、基本をじっくりやるより割りとレトリックなもの
を評価するところがあるといえます。
私のスキーの滑りも、昨期は木に登っていたように感じて
今まで毎週出かけていたスキーを今年は違うアプローチにしようと
中身重視にしたところ、その最大の成果がかぐらコブキャンプ
で出たように感じました。

成果というより、私が得たいと思ったコブに対する初めて
まともな指導を得た感じでした。一人で滑っていた昨期は
ただがむしゃらにコブに挑み、深くて急斜面のコブに深い
所にどしんどしんと落ちていく滑りでした。

空中で切り替えてねじりをセットして底にエッジングする
だけで、降りられないわけではないのですが、体力がなくなる
とこてっと谷側に倒れてしまいます。体力があるうちは
滑れるが最後の方はよれよれで、腰にも負担がかかり
深いコブにくると上体を胸に近づけてコブに入りますが、
それが上体で迎えに行っていると検定でも言われたし、
渡辺一樹キャンプでも指摘されました。

しかし、かぐらではみんなこんな感じで上体をかぶせて
深いコブを滑っているので、私もテクニカルのコブで
同じように癖をつけてしまったのかと思います。

上達しないで、毎週滑ってがむしゃらにコブに挑むうちに
変な癖をつけてしまったというこの事態に適正な処方箋は
あるのか。途方にくれつつ、コブなら八海山スクールだろうと
霊峰と天地人のコブに救いを求めたのです。
シュチィエーションウィークに参加して、コブ入門を受けて
みました。

そこでは文字通りコブの入り方の初歩をずっとラインを
攻めることなくただ小さくなって一日滑っていました。
ただ、かぐらのテクニカルのコブに来るとやはり以前の
滑りしか出来ません。

やはり斜度とコブに恐怖心があり、板をたてにして入って
いけないのです。しかし、その後3月下旬に新雪が降り、
コブのないテクニカルを滑るとその斜度のなさにびっくり
するのです。

さて、これは自分の恐怖心をなくすだけで普通に小回りで
降りられるようになるのか、そんな疑問を持っていたところに
同じ八海山スクールがかぐらコブキャンプをやるというので
参加したわけです。

長年の疑問として、このテクニカルをモーグルの人は直線的に
ラインをとり、ほとんど板を回さずにパタンパタンと降りる人
がいますがあれはどういう構造でああいう滑りをしているのか
謎でした。

しかし、最近モーグルでもまわるいターン弧を描くようにカー
ビングで降りるという変化があり、直線で降りる人自体希少に
なりました。それにコブのでき方も変わり、バンクっぽいピッチの
短い深いコブになりました。

よいよ手ごわいコブになりましたが、意外にもこの雨での講習に
全ていくつもの謎があっさりと溶かされていくのが信じられない
ほど鮮やかな謎解きでした。コブ入門の時にも講師に底にどしん
どしんと生徒は降りているが、講師はちゃんと板を回して降りて
いるがそのアプローチというか滑りの違いはどうすればいいのか
リフト上で聞いたことがあります。

その時には、今回ほど明快な答えではなかったのだと思います。
聞いておきながら自分でこうですよねと答えていたと思います。
しかし、そのままにしておけば多分来期も今の滑りから抜けられ
ないままだったと思います。今回はやっと疑問に答えられる人に
出会えたのです。これはすばらしいことです。

私がずっと持っていた珈琲のブラジルの豆の謎と同様、このように
きれいに疑問が氷解する瞬間が最近いくつかあるのです。それは、
そもそも常に目標とそれを達成する問題点と疑問点を持ち続けた
からだとおもいます。

孟子よ、高い木に登るのも釣りのポイントを探るのに必要なの
ですよ。方向が違っても努力をやめてはだめなのです。もちろん
間違ったところまでいつも戻れるスタンスは必要ですが。
コメント
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