King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

関電問題

2019年10月09日 12時13分10秒 | 日々のこと

森田健作知事や関電関連から政治献金を受けた世耕元大臣などが話題に

なっていますが、そんなの話題にすることや騒ぐ前に自分たちが選んだ政治体制とか

政治家の質がそういうことをする人たちを選んでしまったんだという指摘をなぜ誰も

せず、 自民党を選んだからこういうことも当然予想できたことだと言わないのでしょう。

 

そもそも政治献金というのは違法ではなく、土建会社がキックバックするのは当然のことで

通常のビジネスとして行われています。リベートは仕事をスムーズにするための支払うのも普通の事だったのです。営業職を

経験した人ならこの種のリベートを支払ったりもらったりする経験はしているのです。

 

営業で接待などというのは人として仲良くなり仕事を受注するという営業の基本作業で

その際金品で取り入るというのも昔から行われていることです。それを公共性がある企業だから

だめだとかあの政治家があの企業から献金をもらっていると騒ぐ前にそういう営業スタイルや

公共事業と票を結び付けた昔ながらの自民党政治とかを問題にせずその額の大きさや個人が

亡くなったら表立った事件とか税務調査で明らかになったというそのきっかけの方が私は

気になります。

 

今、後継ぎがいないからとか人が原因で仕事があり、黒字の企業がその事業が引き継げずに廃業する

ケースが増えています。それも皆個人が立ち上げた地方の小さな会社や個人事業主だったりでそれが

存続できずに廃業すると地方の衰退とか人口減につながり国の存亡にもかかわる事態なのではと思い

ます。秩父でも昔からの名店が突如消えてしまうような事態が相次いでいます。そんな事業の存続に

何か有効なシステムとか引き継ぎさらに発展していく地方のモデルケースのようなシステムを構築

すべき時なのではないでしょうか。

 

それと自民党政治についてはコンクリートより人という事で政権交代した民主党がとても仕事ができず、

自民党政治が復活したという経緯は国民に選択肢がなくなったさまを感じさせ余計選挙にいかなくなった

だけのようですが、消費税が上がり財政再建もままならずという体制に国民の関心が薄まりよりひどい

現状に少しでも国民が関心を寄せ自分たちが関電事件をもたらした自覚を持たないといけないのでは

ないでしょうか。

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windows更新とウエストワールド的夢

2019年10月09日 10時55分16秒 | 珈琲

西武秩父駅の辺りにはレンタカーの店が増えました。

利用者にはまだ理解が進んでいないようですが、これは土日の混雑を避ける方策として

レッドアローとレンタカーという組み合わせを新たな売りとして快適な旅の提案なのだと

思います。

 

金木犀の香も終わり、秋の味覚も栗ひろいとかブドウ狩りなどもそろそろ終わり紅葉へと

向かう時期です。

 

食では新そばの季節で相変わらず食事時には市内の店のあちこちで行列が見られる人気ぶり

ですが、直ぐに思い浮かぶ今食べたいものがないのも事実です。

 

さて、昨日は結局いつも使うマシンでのwindowsの更新を諦めそれよりソフトを削除したために

使いづらくなった環境を元に戻すことにしました。

 

これがまた一苦労で、ドライバーを検索したり、ソフトを探したりして、入れても元のようにならないのです。

特に困ったのはポインティングディバイスです。これはタッチパネルをドラッグすると画面がスクロールする

ソフトなのですが、これは使い慣れどのタッチパネルもこういう動きなのだと思っていたらこれはソフトで

動いているもので、ソフトは簡単に見つかるもののインストールが一様に行かず、acerのHPからやっと

ダウンロードして復元できました。

 

しばらくはこの程度でしのぐしかありません。

 

あとは引っ越しの後考えようと昨日は寝たのですが、昨日というか今朝がたの夢は衝撃的なものでした。

 

自宅の周りを散歩するシーンなのですが、なぜかそこはウエストワールドのようなテーマパークで

自分たちは住人としてキャストを演じ楽しませる側のようなのです。

 

そして思ったことは今の現実の世界もその架空のテーマパークのアトラクションの一部のロボットと

何の差があるのかということです。つまり現実に今の自分は完全に自由で行こうと思えば海外でも

まったく違う環境へも行くことも可能ですが、実は諸々の事情やらしがらみやらで秩父から実際でて

何か違う選択をすることはできず、今の生活をしていくしかないという点では全くウエストワールドの

毎日同じ繰り返しのロボットと何ら変わらないと言えるという事です。

 

そう思うと猛烈に今の生活を抜けて違う本当に自分がやりたいことをしてみたいという衝動も強く

思うのでした。誰でもお金が溜まったら南国のビーチでのんびり過ごすというような夢を持ちますが、

または世界をまたにかけて旅をするとか夢の実現ということで世界旅行などはよく上がるケースです。

ところが最近珍夜特急という旅の物語を夜読んでいるとこれも何かに捉われてただオートバイで走り

周っているだけでどこかに行くという必然はないのではという見方がどうしても最近強くなってしまい

ました。

 

今の時期どうしても思うのはあの新雪の降り積もり、自分が付けたシュプールもリフトで上がるともう

消えているというような状況の中新雪を何度も滑る斜面の事を思い描きます。

 

そして、今年はいつも行く斜面でなくてまだ見ぬゲレンデや山を滑るというテーマに辿り着き、その

候補である田沢湖を昨日地図で見ると絶望的な距離でこれはどうしたものかという思いをしました。

自分の車で安比高原に行ったことがあるし、全然不可能でも行けない距離でもないのに、昨年行った

猪苗代湖の二倍以上にもなる距離は行きたいという気持ちより行かなくちゃいけないのだろうかという

気持ちにさせたのです。

 

この様なことを外形的に考えるとなんと不自由な身であることかという事とそもそも残りの人生とか

残された時間を考えて行動することをなにかと意識させこのまま囚われの身でいるのがよいのかとか

夢の生活とかを実現すべきなのではとか決断を迫るものを感じるのでした。

 

この冬やらなければならないのはいつも思っているゲレンデサイトに住み毎日スキーと珈琲で過ごすと

いう日々です。これはやろうと思えば簡単に実現できそうでいてなかなか毎年踏み出せずにゲレンデに

立ちまた準備できなかった冬の生活とリゾート感を得るにはという考えの堂々巡りをするのでした。

 

目の前のチャンスというのは魚の群れに投げ入れられた釣り針に他ならないと感じる事ばかりを経験して

きましたが、結果の解っていることや今まで経験してきたことを繰り返すことでは得られないことというのは

可能性ということで今感じているウエストワールド感を破り本当の自由を感じてみるべきだと告げている

ようで今朝夢はなるほどなあと感じるのでした。

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