12日に接近した台風19号は1958年の狩野川台風並みの被害をもたらすと
ニュースでは言われて警戒を呼び掛けていました。でも、その狩野川台風の記憶がある人が
どれほどいるのかという意味で対象として挙げるのに正しいのかという思いをした人もいると
思います。
秩父ではエリアメールで警戒レベル4が発動し避難しろと呼び掛けていたのが、三時半にはレベル5
に代わり命を守る最善の方法をとってくださいという内容でした。
夕方5時半ごろ市内に出ましたが、街灯以外ついている電気もなく、商店はことごとく店を閉め
空いているのは偏屈なラーメン屋と好き家のみでした。これは珍しい光景と思いましたが、
計画運休という事態になり、会社や事業者も当然みんな休んだろうし、コンビニ店ですら休業を
発表するぐらいだからこんなひっそりした状況も当然といえば当然で正しい対応でしょう。
二瀬ダムの緊急放流がニュースで流れ、被害が心配されましたが、夜10時ごろには静かになり、
寝るころには13夜の名残の満月が出ていました。衛星放送の電波が乱れたのが三時ごろから一時間は
まったく受信できず、その後降雨モードという荒い受信画面になり夜には普通になりました。
朝のニュースでは千曲川の氾濫の映像が繰り返し流れ、これから東北に行くので警戒をと呼び掛けて
いました。
これは意外な感じで今まで台風の進路から関東直撃ということで狩野川とか千葉がまた被災すると
警戒していたのが、長野に大きな被害ということで繰り返し中継で流れる自衛隊の救助の模様を
眺めました。これも秩父の甲武信ヶ岳という分水嶺に源を持つ日本一長い河川ゆえのことと、台風が
秩父辺りの高い山にあたりその水がみんな流れていったからだなあと申し訳ないような思いもする
のでした。段々各地の被害が上がりだし、長野だけでなく各地で車が流されたり、埋まったりしての被害も
知れるとやはり一生に一度体験するような台風だったのかと感じます。
秩父ではすぐ上の羊山が崩れ299号に崩れてきたというニュースがありました。さらに、別所の浄水場で
土砂崩れで断水も起きたといいます。朝旧市内を回った時には公園橋を渡った先の信号からミューズパーク
入口が通行止めになっていた以外さしたる被害も感じない平穏な感じでした。西武線は二時半ごろから動き
出したといい、秩父線は13日前日運休でした。国道は140号線は樋口辺りと武州日野の辺りで通行止め、299は
上野町交差点から飯能まで通行どめとこれでは豊島交流中止も仕方ない判断だったと思いました。
それでもこの日のラグビースコットランド戦が予定通り行われるというのは朗報でした。
多摩川が氾濫したとはいえ首都の安全は守られているということなのでしょう。
12日はまるきり走っておらず長めにミューズパークを走る計画も通行止めで結局市内を走りましたが、
不思議なことにもう終わったと思った金木犀の花の香りがあちこちでしていて息を殺して過ごした
植物が一気に息を吹き返したかのような呼吸の一端を垣間見たようでした。
12日にはさすがに雨で誰も来ず電話もならずという静かな一日になり、ひたすら焙煎機の掃除を
しました。この調整は毎月必ず行う作業でじっくりやると一日かかり、焙煎はできなくなります。
だから終業から夜間の作業が多いのですが、朝から焙煎機をばらせるのもこの天候のおかげです。
鬼警部アイアンサイドの中のセリフでずっと頭に残ったものとして秘書が珈琲ポットを洗うのを
窘めるシーンがあります。いつもの珈琲の味が変わったのに気が付いた警部が秘書を叱るのです。
珈琲ポットは洗ってはダメだと。似たようにイタリアなどでもマキネッタは洗剤で洗ってはいけない
というのもあります。
それだけ味にこだわる言い伝えのまつわることは多く、長年使いこんだものの方が新品の器具より
いい味であるという思い込みもあります。焙煎機も珈琲の味がしみ込んだものの方がよいということで
中古の焙煎機は人気商品です。とはいえ珈琲の微粉がこびりついた焙煎機は徐々にブレを生じ焙煎を
狂わせます。
私は焼の難しい豆を焼くときには特に念入りに焙煎機の調整をします。
当店の釜も6000回を超えこびりついた珈琲のコーティングは鍍金のように剥がれないかのようでした。
しかし、念入りに各所を掃除したら新品同様のぴかぴかになり固い珈琲の層も1ミリ以下の薄い膜で竹へら
や金属へらやらで削っているとなんと取れないと思われたものもすべて元の金属の色を取り戻したのです。
これは賛否両論ありここまで削ってはいけないという人もいるようですが、私は元の金属の色がよみがえった
愛機を見るとこれは良い予感がしてならないのでした。