King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

寒さと近ずくお祭りと

2019年11月14日 10時12分45秒 | 珈琲

昨日寝る前に見たテレビでまた太川と蛭子のバス旅をみてしまい、

どうしてそれを録画したかといえば目的地が八甲田山ロープウェイだったからです。

 

盛岡駅から八幡平を経由して八甲田山なんて自動車移動なら一日の移動ですが、これを

一泊二日で電車利用の組と路線バスの組で競争するという企画でした。

 

やたらと多い旅番組や素人参加型の番組があふれる中、この番組でびっくりしたのはその

景色のすばらしさです。紅葉に包まれた八甲田の森はかつて見た雪景色のものとは違い、

これまた登山番組の多いNHKの番組で何度も見てはいますが、テーマとしてはバス旅と

いう太川と蛭子の珍道中という視点から見ていたので意外なご褒美的にこの紅葉の美しさは

久しく接していないもので新鮮でした。

 

かつて私が八甲田やニセコにスキーに行ったのも10年も前の事であることやそんな何百キロ

の移動をしなくてもまだ身近にリゾート感あふれる地があることを知ってしまうとわざわざ

出かける気もなかったのですが、今の目標の地は秋田や田沢湖の辺りでかつて安比高原に

行ったことを思えばこの目的地もそんな大それたところでもなく、そもそも毎年会う外国の

人たちは米やオーストラリアの人たちはもっと大変な移動をしていることなどを思うと

私が辟易とする7時間の移動など別に些細なことに違いありません。

 

それに普段から彼らは州内の移動でもそのくらいの移動が伴うことが日常茶飯事なことも以前会話して

知らされています。

 

つまり日本のようなちまちまとした感覚で生活していると地球の大きさに触れることも感じることも

なく日々何かに飼いならされているかのような状況になっているのです。

 

そんなこともあり若いうちは冒険心とかまだ見ぬ地を求めて旅をしたがったりするわけですが、

家族ができ安定を感じて生活すると何かと守りに入り本来やりたいこととかしてみたいことも

後回しにして生きているのです。

 

それはともすると季節も知らずあくせくと時間に追われてしまうことになり、テレビの紅葉を

見てあれ忘れていたという感じを抱くのです。

 

先日も以前は秩父に住んでいて都内に転出した人と電話で話し、お祭りが近づいていることや

寒さについて触れられましたが、一番気にされていたのは人とのふれあいの事でした。

 

昨日のニュースで首相主催の桜を見る会が来年は中止になったというものがありました。

 

これなどは民主党時代の事業仕分けと同じでこんな程度では何の解決にならないことをまた

やっているという感じです。

 

野党とすれば痛いところをついてしてやったりという感じでさらに国会で追及していくと

息まきますが、これなどたかたが8000万程度の事業でこの間の復興のためのかさ上げ事業など

8000億もかけ誰も住まない土地にして何のための復興事業だったのかということが実際行われて

いても誰も検証も議論もせず、税金は大企業の土木事業や成り立ちもしない事業についやされ

大手の仕事を邪魔しない程度のものに投資されやはり事業が成り立たなくてつぶれていくと

いうところが多いという繰り返しです。

 

秋篠宮皇嗣殿下も言ったように天皇家の行事として税金はなるべく支出しないようにと

コメントしたけれど現実には平成の時より大がかかりに儀式のときの建物も新築され晩餐会などの

宴会の数もやたらと多く感じます。


お祭りとか文化財というと誰も文句は言いませんが、宗教的建物に税金が支出

 

されたり、宗教行事に使われているというのはやはり憲法違反です。天皇が即位の時に

憲法を守りと自ら述べられましたが、それも変な話です。憲法は時の権力者により変えられて

しまうものです。つまりそれに縛られる存在とはその権力者の下にあると自ら言っているようで

もとよりそういわされているように受け取れます。

 

前回の時にも憲法違反として大嘗祭やパレードに国費を支出することを差し止める訴訟が

各地で起きましたが、憲法判断以前に訴えを退けました。憲法において儀式を行うことと

天皇の国事行為として決められています。これが神事であり神道にあたり政教分離に反すると

いうのもナンセンスで古事として壮麗に行うというのもおかしいと思います。秋篠宮さまが

言われたように天皇家の行事であればそれを華美にならず税の支出が大掛かりにならないよう

にせよという要求も天皇自ら行事の簡素化は関与していいような気がします。

 

そもそも訴訟として損害賠償を求めたりするから訴訟として憲法議論の判断もされず

退けられてしまったのではないでしょうか。とはいえもう支出してしまったものについて

訴えは意味がないといわれるし、国政行為の是正を求める制度もないという門前払いは

お上に物申すなというとりつく島のないものです。

 

さらにこれら行事により憤怒や不快感を持ってもそれを損害賠償で晴らすものではないと

いうのも個人的感情と切り捨てて済むことなのかという感じもします。

法の精神はわざわざ憲法の前文で断ったとおり個人の尊厳とか自由とか言っておきながら

国民らが,自己の意思に反して,国事行為ないし公的性格を有する前記諸儀式等の執行に加担させられ,そ

のことにより従属的,臣下的地位を強制され,人格的尊厳を傷つけられたと考えたとしても,それは

国も法も汲まないよというのはやはり矛盾や違和感は残ります。

 

桜を見る会中止にそんなことしか追及できないのかという思いがするのもそんなことからでしょう。

人の気持ちをおもんばかるというのは移転した人が気にしていた秩父の人の気持ちです。いろいろな人に

お世話になり、移転するには物を捨てるにしてもそれはものすごい決心と別れの感情が人生の整理に重なり

一様にはいかなかったと話されました。儀式などというのはそんな気持ちに寄り添いより多くの人心を

納得させる手段でしょう。古くからやっていることとか神話由来だからとか注目すべきはそんなところでは

なく、心の整理なのではないでしょうか。

 

今朝はゴールデンマンデリンをいただきました。

 

これは深く煎り、ガツンと強い苦みも出しやすいし、もっと深く甘みを感じるように淹れることもできます。

そのフルーティーで甘味を感じていただきたいのですが、多くの人がマンデリンはガツンと苦い珈琲という

認識が強く、酸味とか甘味に気がつかないようです。ぜひ一度試飲してみてください。

 

コメント
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