King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

年末並み寒さと二律背反

2019年11月29日 09時05分58秒 | 珈琲

今年の11月は寒い日と暖かい日が交互にやってきて何かを試すかのように

揺さぶりをかけてきます。今朝はほぼ0度と年末並みの寒さです。

これでもまだお祭りという感じはしません。

昔なら完全に木々の葉が落ち霜が真っ白に車の窓ガラスを覆うそんな冬の景色の

中執り行われるのが秩父夜祭でした。

 

昨今は花火に照らされる羊山の木々に紅葉した葉が見えるようになり、市役所周りも

まだ木々のは落ちていません。

 

それにしても今朝の冷え込みは急で色々と今後の作業にも影響しそうです。

もとより移転のための工事など秩父地方の業者は祭りの後でというスタイルで

早くやる気など毛頭ない感じでこちらのものの移動しかできません。

 

毎年のことながら必ずあることならもっと効率的にできないのかというのはこの

祭りの事でも思います。いつものように薄暗い赤い電球を臨時のケーブルで市内中

付けて回ったり、祭り見物の桟敷を建設したりとたった一日のために一週間も前から

工事をしていますが、これなど市民会館と市役所を建設するときにトータルマネージメントと

デザインでどうとでもできたことです。

 

ちっとも将来性や発展性を持たず何のマネージメントもなく、巨額の負債だけ作り

無駄な建物を建てた感は強いのです。これは日本の建物に関する考え方が貧弱なことと

ばらまき箱物で公共事業は作っていくものという悪しき慣習ができてしまったことです。

奈良京都をみれば木造でも古い建物はいくらでもあり、技術が上がった今ならもっと未来を

見据えた建築が可能なはずです。それなのに古いものは残して文化財として見世物になり、

突貫工事で作った急ごしらえの交通網など整備するのに金ばかりかかるようになっている

ことなど顧みられず、新しい重複する道路や橋などを作り、さらに巨額なリニアモーターカー

も重複路線の既存都市間を結ぶものです。

 

格差社会などといわれるようになっていますが、そもそもそれを促す政策でことが進んで

いるからにほかならず、相次ぐ巨大プロジェクトも復興事業もすべては大企業へのバラマキ

でしかありません。かつては主力産業が農業でありその担い手に税金もばらまかれていたから

格差も少なく、やがて主力産業が大企業になると大衆などという幻想はあっという間に通過され

一部の者が富を握るという社会となってしまったのです。昨日書いた二律背反ですが、この寒さに

接してまたあの珈琲が深まる時期になったという気分となぜ世の中の珈琲はまずいままなのかと

いうまずいものが席巻する世の中の不条理を感じずにはいられません。また落ち着いたらこの

二律背反が私自身の中にも生じた現象に触れます。

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