King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

禁断の味のブラジル

2019年11月22日 10時22分16秒 | 珈琲

現在新しく入れた豆に非常に悩んでいます。それというのも非常にうまいと感じて

しまうからです。とはいえこれは普通に誰でもそう感じるかというと話は違います。

多分これを試飲していただいてもふうん以外の感想はすぐ出てこないでしょう。そこが問題です。

 

今朝は久しぶりに雨となり、朝起きるとぶるぶると震えるような寒さもありました。

 

一月と同じ気温だとかで、これは人間の体というのは慣れるのでいつもこの気温が続くので

あればそうたいして感情も変化することなくああ今日も冬だで済むのです。ですが、まだ

11月にに1月の気温になると途端に思考が麻痺しあらゆることにびびり予定外の行動に走りがち

です。

 

まあ来月三日にはお祭りだし、冬なのは当たり前とのんきに考えればそれもそのはずであり、

あまりこの時期用事のないお年寄りの人にはお祭りだろうが秋だろうが関係ないのです。

ところが人間そういう何の目的も目標もない生き方が一番いけなくて命を縮めます。

 

そのお年寄りにしろ毎日のあふれる健康情報を流す番組をみては納豆がいいといえば

納豆を買い、海藻がいいといえば毎日みそ汁に入れたりとそんなことばかりやります。

 

まあそんな行動に批判をするわけではありませんが、私がここのところ時間があればする

ことといえば今年どんな冬の旅行をするかばかりを考えまだ見ぬスキー場の情報やら

過去のスキーの記録などを見る毎日なのです。

 

そこで気になったことを一つ書いておくとネット上の変化というか特徴としてはもはや

スキーの事を書く人は少なく、例えばあの200 SNOW REPORTSにしろ他の人の日記に

しろ2014,15年頃でスキーの事は途切れて更新されなかったり、スキーの記事だけ亡くなったり

するのです。

 

世の中スキーをしていた人もスキーをやめたのかのような状況ですが、それは毎年変わる

スキー場の状況でも感じることであり、昨年行ったスキー場が今年はやるのかやめるのか

といった切実な情報もネットでは確かなことは解らないし、昔はそういう情報をやりとりする

掲示板とかメーリングリストなりがあり知りえたこともSNSとかになりあまり伝わらないと

いうか、話し合うこともないというのがつまらないところです。

 

スキーの滑走記を見るのも非常に少なく、そんなもの10年も前のものだと何の参考にもならない

のです。ところが動画サイトに行くと今年オープンした天然雪のスキー場の様子などが翌日みる

ことができたり、どんな辺鄙で人気のないスキー場でもどこかの雪渓とか誰かが滑りそれをアップ

しているのです。

 

リフト代がいくらとか何を食べるとかそんな滑走記より、このただメットに付けたカメラの定点

的な視点の映像の一本滑っただけの映像でもそのゲレンデの持つ特性とか得られる情報は多く、

場合によっては主要なインターからそのスキー場の駐車場までのフロントガラス越しの映像など

という情報が実にそのロケーションとか行く価値のあるところかどうかの判断に有効に情報を与えて

くれるのです。

 

ときには自撮り棒を使いにやけた投稿者の顔をみさせられたりもしますが、その背後にちらっと映る斜面

にはっとさせられたりと意外と得られる情報に古い滑走記より新鮮な情報が飛び込みます。

 

ただ、今気にしているの北海道とか青森に一泊二日で行くような旅行記であり、そんな弾丸ツアーを

して得られる満足度です。

 

私の思惑はそんなお金だけかかることをするのであればもっとリゾート感のあふれるパウダー天国を

どこかでできるのではないかという経験上の思惑もあり、そんな極上の体験をこの先あとどれだけ

機会が狭まる中出来るかが命題となっており、そんな折にそんな弾丸ツアーでただ疲れに行くような

ことをしてしまっていいのかということに行きつくのです。まあそんなことも経験上、一緒に誰と

それをやるかでまた結果も価値も違うわけでこれが一人だと極上の温泉と食事とフワフワのパウダーと

揃っていないともう出かける気も起きないとまあ贅沢なものになってしまいました。

 

それも見栄もなく実をということで突き詰め昨日書いたように旅館の料理や味などほとんどがその

名前ほどしか価値がなく、スキーの疲れを癒し好きな物が揃う方がどれだけ癒されるかも知ると

自分の家より寒かったり貧相な部屋に泊まりたくないし、現地に車中泊してまでパウダーを狙うなど

ということも魅力的にはみえないのです。

 

このように人それぞれに価値感があり、何かの命題がありそれを主張しそれに共感してくれるのが

喜ばれてSNSでの交流がただ単にインスタ映えなどという自己満足に止まらないことを知らせますが、

昔の掲示板やメーリングリストのように文字間から伝わるそこはかとない人の心とかはいまはなく

それだけは完全に失われた文化といっていいでしょう。

 

今私が感じている新しく入れた豆に対する戸惑いもまあ表現のしづらいもので、これからもしかしたら

ブラジルだけでいくつもそろえてそれを解り伝える方向もあるのかと考えだしました。

 

ミナスジョナス州の珈琲の有名産地だけでカルモデミナス、セラード、モジアナとあるもののそれぞれ

広大な地域でどれだけの農場がひしめきどのような種類の豆を生産しているのかも考えるとここだけ

でもかなりの数のスペシャルティがひしめきもはやそれは自己満足の世界でしかない値段と味の対比と

なってしまい、納得できる品ぞろえにするには至難の業といえます。

 

ただ明らかにすることはブラジルのすばらしさであり、それはやらなくてはならいことで、とかく

ブラジルといえば珈琲通でも馬鹿にしてわざわざ飲まないような風潮にブラジルのうまさが解らないと

全てはないということを知らしめないといけないと常日頃思います。

 

そんな意味で久しぶりに降った雨と今後の豆の仕入れと午後の予定を考えます。

 

 

 

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