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★★★★★
【Amazonの内容紹介】
鎌倉と京、公武権力構図の転換点とされる承久の乱。
治天の君=後鳥羽院が歌に込めた
「道ある世」への希求とは何だったのか。
諸史料を中心に、協調から武闘路線への道をたどり、
隠岐に配流された後鳥羽院のその後にも迫る。
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定家から後鳥羽院に興味が広がってきたのだけども、
知れば知るほどおもしろいな~。
知れば知るほどおもしろいな~。
この本は、「敗者の日本史」の名の通り、
京方の公卿や武士に
スポットライトをあてているのが珍しい。
確固とした意志を持って院についた者ばかりでなく、
確固とした意志を持って院についた者ばかりでなく、
「たまたま京にいたときに戦いが始まっちゃって、
やむをえず……」
という武士たちがいたのは知っていたけれども、
彼らの間にも血縁関係があり、
意外なつながりが見いだせることも。
後鳥羽院・順徳院とがっつり絡んでいた
後鳥羽院・順徳院とがっつり絡んでいた
高倉家や坊門家が没落していくのに対して、
疎外されていた土御門院とのつながりの方が強かったために
没落を免れる土御門家。
運としか言いようがないね……。
藤原(高倉)範季は、義経関係で知った人物だけど、
平家から妻をもらってしっかり平家と縁を結びつつ、
源氏の遺児である範頼を養育したり、
後白河院の平家妥当の計画に加わって解官されたり。
頼朝と親しい九条家の家司でありながら
頼朝と親しい九条家の家司でありながら
義経に味方してまた解官。
養育していた後鳥羽帝のまわりを一族で固めて、
養育していた後鳥羽帝のまわりを一族で固めて、
娘が寵愛を受けて最終的には天皇の外祖父に。
承久の乱の前に亡くなっているから
承久の乱の前に亡くなっているから
没落を見ないで済んでいて、すごい人生だなあ。