今になって、田中角栄の人間性や業績が評価されてきた。「再評価」ではない。「評価」なのである。
石原慎太郎の角栄礼賛本が売れているそうだ。
歯に衣を着せぬ愛国者たる石原慎太郎は諸外国に対して毅然とした発言をするので個人的には好きであった。しかし当時「角栄降ろし」の急先鋒だった彼が何をいまさら自らの著書内での角栄礼賛なのかは不思議でしょうがない。このまま筋を通し続けてほしかった。
当時、田中角栄は金権政治だのばらまきによって人心を掌握した。そして数多くの業績も残した。コーチャンだのピーナッツなどの名前とともにロッキード事件も有名であった。
しかしついにはそれで失脚したのである。当時、金権政治で叩かれて失脚したのであるが、何故今更、手のひら返すように世の中彼の人物礼賛となってしまうのはなんとなく筋が通らない。
人物評価というのはこうも急転したり手のひらを返したりの「いいかげん」なものなのかと思ってしまう。
多分これは前述の「加点評価」(よいことをしたと認め評価すること)ではなく、日本の国民性が「減点評価」(いけないことをしたらそれだけですべてを否定すること)なのであろうかと考える。
もしかしたら江戸時代の話で「ヘタを打ったら腹を切る、お家取潰し」という責任の取り方に端を発しているかもしれない。そしてそれが現在での減点評価につながっているのかもしれないと言ったら言い過ぎであろうか?
石原慎太郎の角栄礼賛本が売れているそうだ。
歯に衣を着せぬ愛国者たる石原慎太郎は諸外国に対して毅然とした発言をするので個人的には好きであった。しかし当時「角栄降ろし」の急先鋒だった彼が何をいまさら自らの著書内での角栄礼賛なのかは不思議でしょうがない。このまま筋を通し続けてほしかった。
当時、田中角栄は金権政治だのばらまきによって人心を掌握した。そして数多くの業績も残した。コーチャンだのピーナッツなどの名前とともにロッキード事件も有名であった。
しかしついにはそれで失脚したのである。当時、金権政治で叩かれて失脚したのであるが、何故今更、手のひら返すように世の中彼の人物礼賛となってしまうのはなんとなく筋が通らない。
人物評価というのはこうも急転したり手のひらを返したりの「いいかげん」なものなのかと思ってしまう。
多分これは前述の「加点評価」(よいことをしたと認め評価すること)ではなく、日本の国民性が「減点評価」(いけないことをしたらそれだけですべてを否定すること)なのであろうかと考える。
もしかしたら江戸時代の話で「ヘタを打ったら腹を切る、お家取潰し」という責任の取り方に端を発しているかもしれない。そしてそれが現在での減点評価につながっているのかもしれないと言ったら言い過ぎであろうか?