吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています

破傷風の治療 その2

2008年08月07日 06時58分38秒 | インポート

 破傷風が発症したなら特効薬はない。ペニシリンGの大量投与なんかでも効き目は余り実感したことがない(しかも大量投与するので保険で査定され減額される)。まあ治療法といえば「痙攣を防止しながら自然に治るまでまつ」しかない。痙攣の抑制とは、大昔は暗い病室の管理で音や光りの刺激を避けていた。今では眠らせて人工呼吸器で管理することである。重度の破傷風では2ヶ月近くも管理が必要になる。この間に大変な合併症が起こりうる。


破傷風の治療

2008年08月06日 07時32分46秒 | インポート

 過去、破傷風の患者さんを4-5人受け持ったことがある。突然の全身筋肉の緊張性の痙攣と呼吸筋ケイレンのため呼吸ができなくなる。しかもこの間は「意識が保たれている」ことが特徴である。意識があって息が苦しくなるのでその恐怖はものすごいだろう。でも鎮静剤+筋弛緩薬をつかって人工呼吸すればよいのだが、破傷風の治療経過中はもっと怖い状態がおこる。


破傷風の大家

2008年08月05日 07時20分13秒 | インポート

 前述の破傷風の大家の先生のことだが、自分は後年、破傷風の患者を受け持つことがあった。治療法など調べると、その大家の先生の治療法が出てくるのだ。しかし当時ですら、その先生の治療法は目の前の患者には総論過ぎて余り役に立たず(ごめんなさい!)、閉口した記憶がある。結局1ヶ月以上も全身の筋肉を弛緩させて人工呼吸器管理にせざるをえなかった。


ラテン語

2008年08月04日 07時13分37秒 | インポート

 ラテン語で思い出すのは、学生当時、感染症で「破傷風の大家(自称)」の先生に講義を受けたことだ。講義中よく言っていたが「皆さん、将来有名になりたかったら、人のやらない分野を選びなさいね。私もこの分野だと競争相手があまりいなかったので有名ですよ」と、くだけた先生だと思った。面白い先生だったが、でも試験は病名をラテン語で書かせた。スペルが1字でもちがうと、そこの配点がすべてゼロにされた。試験の採点は容赦なかったのでイメージが随分異なった。とても長ったらしいラテン語病名などはおぼえていないし、今ではカルテは誰にでも分かるように日本語でかけと行政指導があるくらいである。


父のカルテ

2008年08月02日 06時39分51秒 | インポート

 父が書いたカルテを廃院時に処分した。父の書いたカルテをみたらすべてドイツ語であった。自分が学生時代は半分がドイツ語時代の教授で半分が英語系の教授だったため、チャンポンで講義を受けた記憶がある。解剖学なんぞは、ラテン語、ドイツ語、英語、日本語の4ヶ国語で医学用語を覚えさせられた。過渡期だったのだろう。でもそんなこと今ではほとんど役に立っていない。いまは英語と日本語だけらしい。


カルテ破棄

2008年08月01日 07時24分40秒 | インポート

 レントゲンフィルムのところでも触れたが、父の死後、診療所をいったん廃院したので診療所に残っているカルテの処分に往生した。一昔前ならそのまま捨てればよかったが、今では個人情報なので確実に消滅させる必要があるんだと。そのためシュレッダーを購入して次から次へとシュレッダーにかけたが膨大な量だったのでシュレッダーを2-3台つぶしてしまった。でも昭和30年代のカルテなんかでは患者本人はすでにこの世にいない人も多かったので、そのまま捨ててもいいんじゃないかと考えましたけど。そうすると極論ですが歴史的価値のある古文書などの処分もシュレッダーしないといけないことになりますよね?