昨日はまた盛岡まで日帰りしてきた。大叔父の葬式に出席してきた。前日は-15℃の寒さで地元の人も「こんな寒さはちょっと記憶にないですねー」と言っていた。しかし一転、当日は快晴となった。大叔父の家から程近いお寺で葬式と法事をすませたがそれでも田舎のお寺は寒かった。大叔父の経歴などが紹介されたが、芸大で梅原龍三郎に師事したというのは自分には初耳だった。キャンバスをもって山で絵をかき、清流でヤマメを釣り、そして時々ゴルフも楽しんだ。あれ? 1日のうち1/3をしめるお酒の話はでなかったなぁ~?
盛岡に行く前には、母より「まだ意識はあって喋れるそうよ」と聴いていたが、会ってみると目は開けて、ものを追視するが肩で荒い息をしている。時折「ウー」とだけ発するが単語にならない。GCSでいえばE3、V2、M4=9点くらいである。「お~、よく来たなぁ」という会話を期待していたものだから、あまりの状態の悪さにちょっと驚いた。昨年の秋ごろより1日4~5合のんでいたお酒も飲まなくなったそうである。大叔父は、酒好きの絵描きである。自分の好きなことが生業にできて羨ましいと思ったこともあった。まあそれも彼の才覚である。
この前の日曜に盛岡へ日帰りしたことはすでに書いた。目的の一つでもある入院中の大叔父の見舞いであったが、見舞い後3日で彼の訃報が届いた。お見舞いした時は、呼びかければ目はあけてはいたが、すでに意識はもうろうとし、また頻呼吸であったのでそうながくはないだろうと思っていた。しかしまさかそれから3日後とは思いもよらなかった。めったに盛岡には行かないので、最後に兄と二人で大叔父と会ったのはきっと何かの引き合わせであろう。遠方からの親戚筋ではきっと我々の面会が最後になるだろう。
いやはや、くしゃみ、鼻水がひどいので、ようやく昨日から薬を飲みはじめた。私は風邪に効く薬はないと思うので自分では薬はあまり服用しないが、今回は鼻水がひどいのでとうとう飲むことにした。すると鼻水はほとんどおさまった。もちろん治ったわけではなく症状が緩和されただけなのはわかる。しかし、くしゃみも減ったので体力が温存できるのに気がついた。これは症状が緩和されると体力も回復するので、その結果自力で風邪がなおっていくのだと実感した。今頃こんなことに気がついても遅い。もっと早く飲めばよかった。あ~でも早く治んないかなぁ~・・・。
インフルエンザや風邪の予防に嗽・手洗いは欠かすことができない。いつも患者さんの診察終了時には「嗽と手洗い忘れないでくださいね。それから水分を十分に取ってください。喉の粘膜が乾くとばい菌が喉から侵入しますよ」とくどいくらいに言っている。そのためか、うちに定期的に通院してくる高齢者では風邪をひいてくる人は少ない。しかしながらここ数日、自分の方が風邪をひいてひどい症状である。患者さんから「あれ?先生風邪ひいてるの?」と聞かれるので「そうです 言いつけどおりの嗽と手洗いをぜんぜんしてませんでしたもので」と答え失笑を買っている(泣)。
昨夜から明け方にかけて雪が降った。道端のあちこちに久しぶりにわずかだが雪が積もっている。昔に比べると東京は随分冬の気温があがったせいか、ここしばらく積雪はなかったようである。東京は雪に弱く、特に心配なのが、雪が凍結して転倒する高齢の方がいることである。特に骨そしょう症をお持ちの方は転倒しただけで簡単に折れてしまうこともある。くれぐれも完全に溶け切るまでは油断しないでほしい。
昨日の日曜日は盛岡まで日帰りで行ってきた。まず母方の本家でお線香をあげてから、亡父の大学時代の同級生である元教授の大学葬に出席した。この先生は自分が小さい頃から、学会などで上京の際は家に泊まっていたので昔からの顔なじみである。近年、病気療養中だったが、せんだってとうとう亡くなられた。そのあとには大叔父が入院している病院にお見舞いにいった。彼とは父が心筋梗塞で入院中に見舞いのため上京した時以来なので4年ぶりくらいになるだろうか? 開業してからは平日は全く遠出できないので今回の盛岡には久しぶりである。慌しい日帰り旅行だったが昔はとても日帰りできるなど夢想だにしなかった。過去、元気な人たちが入院したり亡くなったりしているのだから、やはり月日はどんどんたっているのであろう。まさに「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」である。