新幹線より在来線、車よりも自転車、自転車よりも徒歩、移動した距離のうちで見えるものが多くなり、詳しくなる順だ。
かつて、関ヶ原の近くで新幹線ではあっという間に通りすぎでしまう小さな池(に見えた)が、実際に地上で見ると結構広く、しかも睡蓮やコウホネ(河骨)の群生地であることを知ったことがある。
更には、新幹線では運転席でもない限り両側を一度に見ることはできないから、右にある、あるいは左にあると思っていたのだが、実は新幹線はこの池の上の橋梁上を走っていたのだ。
この黄色い花がコウホネ
今回徒歩でさまよい近所で見つけたのは、家の近くにあった戦国時代の城址を示す碑とその案内板である。これ、実は車で通りかかったりする都度、何やら建っているなぁとは思ったのだが、じっくり観たのは今回はじめてである。
岐阜でいうと城址といえば平安時代から戦国前期に斎藤道三に追われるまで土岐氏の城があったという鷺山城、その斎藤道三が移築しその後、織田信長の居城となった稲葉山城(現在の岐阜城)、さらには徳川家康の長女・亀姫が嫁いできた奥平家の居城だった加納城(私の卒業した小学校は北側でかつての三の丸、中学校は南側でかつての外堀だった)ぐらいしか知らなかったが、こんな近くにやはり城があったのだ。
案内板で見るとこの上茜部城というのは織田家と豊臣家に仕えた戦国の武将・堀秀政の生誕の地とか。一三歳から歴史の舞台へ登場し、武勇とともに行政能力もあったらしくどんどん出世し、小田原平定後は秀吉は関東一円を彼に託すつもりでいたという。
しかし、その小田原攻めの陣中で、わずか三八歳で病死してしまったらしい。
戦国の歴史や武将に暗い私には、以上もまた付け焼刃に過ぎない。
おそらく昨秋行った中国で通訳をしてくれた温さんのほうが、このへんの歴史にははるかに詳しいだろう。何しろ日本の歴史の教科書など二〇冊以上読んだとのことで、私が岐阜からきたといっただけで、美濃国の歴史や道三、信長のエピソードをその年号まで入れてとうとうと話してくれたのだから。
NHKは今後の大河ドラマのアドバイザーや監修を彼に依頼するといい。
そうすれば、昨年の「江」のように史実とかけ離れすぎた点がチェックできたかも知れない。
自分の足下にある史跡などの片鱗に触れるのも悪いものではない。
現今の固定した座標軸に対し、少なくとも時間軸のもつ差異や揺らぎを気づかせてくれるからだ。
定年退職して郷土史を研究する人達が多いのもそれに関わるかも知れない。
まあ、そんな訳で六も歩けば史跡にあたるといった次第だが、最後にこんなものにもあたった。
でっかい一キロ近くもあろうかという柑橘類で、表面の凸凹はかのケーシー高峰をも凌駕する。ザボンやブンタンの仲間かなとは思うのだが、ネットの柑橘図鑑で見る限り、それらは表面にこれほど凹凸はない。
知ってる人がいたら教えて欲しい。
なお、この木の突然変異ではなく、私の近所ではほかにも見かけることがある。
かつて、関ヶ原の近くで新幹線ではあっという間に通りすぎでしまう小さな池(に見えた)が、実際に地上で見ると結構広く、しかも睡蓮やコウホネ(河骨)の群生地であることを知ったことがある。
更には、新幹線では運転席でもない限り両側を一度に見ることはできないから、右にある、あるいは左にあると思っていたのだが、実は新幹線はこの池の上の橋梁上を走っていたのだ。
この黄色い花がコウホネ
今回徒歩でさまよい近所で見つけたのは、家の近くにあった戦国時代の城址を示す碑とその案内板である。これ、実は車で通りかかったりする都度、何やら建っているなぁとは思ったのだが、じっくり観たのは今回はじめてである。
岐阜でいうと城址といえば平安時代から戦国前期に斎藤道三に追われるまで土岐氏の城があったという鷺山城、その斎藤道三が移築しその後、織田信長の居城となった稲葉山城(現在の岐阜城)、さらには徳川家康の長女・亀姫が嫁いできた奥平家の居城だった加納城(私の卒業した小学校は北側でかつての三の丸、中学校は南側でかつての外堀だった)ぐらいしか知らなかったが、こんな近くにやはり城があったのだ。
案内板で見るとこの上茜部城というのは織田家と豊臣家に仕えた戦国の武将・堀秀政の生誕の地とか。一三歳から歴史の舞台へ登場し、武勇とともに行政能力もあったらしくどんどん出世し、小田原平定後は秀吉は関東一円を彼に託すつもりでいたという。
しかし、その小田原攻めの陣中で、わずか三八歳で病死してしまったらしい。
戦国の歴史や武将に暗い私には、以上もまた付け焼刃に過ぎない。
おそらく昨秋行った中国で通訳をしてくれた温さんのほうが、このへんの歴史にははるかに詳しいだろう。何しろ日本の歴史の教科書など二〇冊以上読んだとのことで、私が岐阜からきたといっただけで、美濃国の歴史や道三、信長のエピソードをその年号まで入れてとうとうと話してくれたのだから。
NHKは今後の大河ドラマのアドバイザーや監修を彼に依頼するといい。
そうすれば、昨年の「江」のように史実とかけ離れすぎた点がチェックできたかも知れない。
自分の足下にある史跡などの片鱗に触れるのも悪いものではない。
現今の固定した座標軸に対し、少なくとも時間軸のもつ差異や揺らぎを気づかせてくれるからだ。
定年退職して郷土史を研究する人達が多いのもそれに関わるかも知れない。
まあ、そんな訳で六も歩けば史跡にあたるといった次第だが、最後にこんなものにもあたった。
でっかい一キロ近くもあろうかという柑橘類で、表面の凸凹はかのケーシー高峰をも凌駕する。ザボンやブンタンの仲間かなとは思うのだが、ネットの柑橘図鑑で見る限り、それらは表面にこれほど凹凸はない。
知ってる人がいたら教えて欲しい。
なお、この木の突然変異ではなく、私の近所ではほかにも見かけることがある。