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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

少し遅い春と忘れてはならないこと

2012-03-23 02:14:22 | 花便り&花をめぐって
 わが家にも少し遅い春が訪れました。
 日本水仙は前から咲いていましたが、ラッパ水仙が開花しました。
 それから、桜ん坊のなる桜がほぼ8分咲きほどになりました。
 それぞれ、やはり昨年から10日ほど遅れています。

         

 昨年、3月11日、咲いている桜を眺め、写真などに収めてから部屋に帰った折、あの地震を体感しました。
 そして悪夢のように海が膨れ上がりすべてを飲みつくすあのおぞましい瞬間の映像を観ました。これがこの、のどやかな春の日に、同じ国で起こっていることとはにわかには信じがたい光景でした。

 それもあって、昨年のそれ以降の日記(3月11日はその日の午前中に載せているので当り障りのない事を書いていますが)は、毎回それについて触れ、赤い文字やイタリック体を使って書いています。
 ようするに、ゆっくり春をめでる気分がすっ飛んでしまったということです。

    

 それに比べると、今年は幾分落ち着いています。
 しかし、連日報じられるように東北ままだまだ過酷な条件下にあります。
 ガレキの90%以上はそのままです。
 放射能は今なお垂れ流しの状況です。
 除染といっても、市街地などはともかく、水源を含む山野などは事実上不可能な有様です。だいたいが「除染」といっても単に「移染」にしか過ぎないことは明らかです。
 かくして、被災地全般、とりわけ重ねて原発災害を受けて人びとの生活や経済は破壊されたままです。

         

 次々と出来度が生起するなか、ともすれば私たちは書類を積み重ねるように新しい出来事を上へ上へと積み重ねてゆきます。
 そして下敷きにされた出来事は忘却されたり風化したりしてそのリアルさを次第に失ってゆきます。
 「絆」とか「がんばろう」とかいう言葉の内実が空疎化し、あの日以来の様々な出来事が単なるエピソードや美談として流通しています。

   

 こうして本質的な問題から視線をそらすなかで、本来あってはならないことが日常のなかに組み込まれてしまっています。放射能が飛び交うなか、難民さながらの逃避行や収容所のような仮設住まいという異常事態が日常化しつつあります。
 そして一方では、官僚に操られた民主党政権が、原発再稼働をめざしてあからさまな動きを示しています。

 私たちやや離れたところにいる者たちは、今年は春を謳歌するかもしません。しかし一方、それを複雑な心境で迎えている人たちがまだまだ大勢いることを忘れないでいたいし、それへの公の対応をちゃんとチェックし続けてゆきたいと思うのです。

 例によって、写真と文章がちぐはぐですね。





コメント
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