テレビが来ました。
昨秋、「地デジ、地デジ」とうるさかったので、へそ曲がりの私は自分の部屋のTVを従来ののままにしていました。ようするになにも映らないままだったのです。
ところが居間にあった別のものが壊れたのをきっかけに私の部屋にもついに地デジ対応のものを入れることにしました。
それにしてもこの時期、TVは安いですね。32インチと22インチ各一台、それに加えて録画用のハードディスク、配達設置料など、すべてを含めて71,000円でした。
画質も液晶の105万画素と従来よりはるかに鮮明です。

新しく来たTV 画面は朝ドラ最後の尾野真千子さんの熱演
しかし、このTVが来るというので、昨夜は徹夜を強いられました。
というのは私の部屋にあったTVはカセットデッキの録画方式のもので、録画しっぱなしでまだ再生して観ていないもの、一度前に観たけれどもう一度観たいものがかなりあったからです。
そのうち、映画関係のものは今後も観ることができると思い、オペラに絞って、3本を観ました。
最初はヤナーチェクの『死者の家から』でクラウディオ・アッバードがウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場合唱団を率いて1992年にザルツブルグの祝祭大劇場で公演したものの収録です。1992年といえば、私が行った91年のモーツアルト・イアーの翌年ですが、前年、同じ祝祭劇場で、『フィガロ』と『ティト』を観てきました。
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私が観たテープのものです しかし私の撮影ではありません
ヤナーチェクのオペラは、ドストエフスキーの『死の家の記録』をオペラ化したものですが、ドストエフスキー自身が4年間のシベリア流刑に処せられていますから、そこでの見聞の小説化であり、またオペラ化ともいえます。
しかし、私にとってはシベリア流刑は帝政ロシアのそれではなく、スターリン時代の恐怖政治、さらには私の養父が経験したシベリア抑留を想起させるものなのです。
したがって、この公演が1992年に行われた背景も見えてくるようです。つまり、89年にベルリンの壁が崩壊し、91年にはソ連そのものが瓦解したまさにその時期の公演なのです。
物語そのものは最後にドストエフスキーと目される政治犯の釈放で終わるのですが、実際の中身はそこに収容された囚人たちの身の上話が主体です。
彼らが犯罪者に至る過程が宿命的なものとして粛々として語られ、展開されます。
それらにヤナーチェクの音楽はよく唱和しています。その前奏曲の色合いからしてもうヤナーチェクの世界です。

同じテープの舞台からです
オペラそのものはほとんどレチタティーヴォに似た形で進み、これはというアリアにはお目にかかれません。これはおそらく、モンテベルディなどの初期のオペラの様式をあえて採用したせいではないかとも思われるのです。そして、それがこのオペラが描く情況とあいまってヤナーチェクの音楽を際立たせているとも思われます。
そういえばこのオペラの台本は、音楽と台詞の不可分性をモットーとするヤナーチェク自身が細部にわたるまで自ら手がけたのだそうです。
ヤナーチェクの音楽はけっこう好きな方で、ちなみに私のiTunesには彼の弦楽四重奏を入れていて、時折これを聴きながらパソのキーボ―ドを叩いています。
せっかく徹夜までしたのでほかのオペラについても書くつもりでしたが、もう既に十分長くなしました。また機会を改めます。
*ほかに観たのは、オッフェンバック『ホフマン物語』とチャイコフスキー『スペードの女王』です。後者はやはり1992年、小澤征爾がウィーンで指揮をしたものです。髪黒々の小澤氏です。また、改めて書きます。
昨秋、「地デジ、地デジ」とうるさかったので、へそ曲がりの私は自分の部屋のTVを従来ののままにしていました。ようするになにも映らないままだったのです。
ところが居間にあった別のものが壊れたのをきっかけに私の部屋にもついに地デジ対応のものを入れることにしました。
それにしてもこの時期、TVは安いですね。32インチと22インチ各一台、それに加えて録画用のハードディスク、配達設置料など、すべてを含めて71,000円でした。
画質も液晶の105万画素と従来よりはるかに鮮明です。

新しく来たTV 画面は朝ドラ最後の尾野真千子さんの熱演
しかし、このTVが来るというので、昨夜は徹夜を強いられました。
というのは私の部屋にあったTVはカセットデッキの録画方式のもので、録画しっぱなしでまだ再生して観ていないもの、一度前に観たけれどもう一度観たいものがかなりあったからです。
そのうち、映画関係のものは今後も観ることができると思い、オペラに絞って、3本を観ました。
最初はヤナーチェクの『死者の家から』でクラウディオ・アッバードがウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場合唱団を率いて1992年にザルツブルグの祝祭大劇場で公演したものの収録です。1992年といえば、私が行った91年のモーツアルト・イアーの翌年ですが、前年、同じ祝祭劇場で、『フィガロ』と『ティト』を観てきました。

私が観たテープのものです しかし私の撮影ではありません
ヤナーチェクのオペラは、ドストエフスキーの『死の家の記録』をオペラ化したものですが、ドストエフスキー自身が4年間のシベリア流刑に処せられていますから、そこでの見聞の小説化であり、またオペラ化ともいえます。
しかし、私にとってはシベリア流刑は帝政ロシアのそれではなく、スターリン時代の恐怖政治、さらには私の養父が経験したシベリア抑留を想起させるものなのです。
したがって、この公演が1992年に行われた背景も見えてくるようです。つまり、89年にベルリンの壁が崩壊し、91年にはソ連そのものが瓦解したまさにその時期の公演なのです。
物語そのものは最後にドストエフスキーと目される政治犯の釈放で終わるのですが、実際の中身はそこに収容された囚人たちの身の上話が主体です。
彼らが犯罪者に至る過程が宿命的なものとして粛々として語られ、展開されます。
それらにヤナーチェクの音楽はよく唱和しています。その前奏曲の色合いからしてもうヤナーチェクの世界です。


同じテープの舞台からです
オペラそのものはほとんどレチタティーヴォに似た形で進み、これはというアリアにはお目にかかれません。これはおそらく、モンテベルディなどの初期のオペラの様式をあえて採用したせいではないかとも思われるのです。そして、それがこのオペラが描く情況とあいまってヤナーチェクの音楽を際立たせているとも思われます。
そういえばこのオペラの台本は、音楽と台詞の不可分性をモットーとするヤナーチェク自身が細部にわたるまで自ら手がけたのだそうです。
ヤナーチェクの音楽はけっこう好きな方で、ちなみに私のiTunesには彼の弦楽四重奏を入れていて、時折これを聴きながらパソのキーボ―ドを叩いています。
せっかく徹夜までしたのでほかのオペラについても書くつもりでしたが、もう既に十分長くなしました。また機会を改めます。
*ほかに観たのは、オッフェンバック『ホフマン物語』とチャイコフスキー『スペードの女王』です。後者はやはり1992年、小澤征爾がウィーンで指揮をしたものです。髪黒々の小澤氏です。また、改めて書きます。