
向こうは名古屋市美術館
もう一昨日になってしまった。
月一回の名古屋での会合に出かけた。
この会合、少なくとも今期は最終回。
遅刻しないように心がけて出かけたらかえって早く着きすぎてしまった。
で、会場近くの白川公園近辺をぶらつく。

近未来の風景のなかマスクの兄ちゃんがチャリンコで
朝夕はまだまだ寒いのだが、昼間の日差しはやはり春のそれだ。
そんなこともあって思ったより人出があった。
公園のベンチで本を読んだり、ものを食べたりしている人もいる。
こうした空間では、人はやはりのんびりするのだろう。
私もそうしたかったが、会合の時間が迫ってきたのでそこを後にした。

見上げればド迫力のプラネタリウム館
会合を終えたのが3時ちょっと過ぎ、急ぎ足で名古屋駅前に取って返す。
メリル・ストリープに逢いにゆくためである。
逢うといっても映画の中であるから、正確には、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を観にゆくというべきだろうが、ハリウッド映画にもサッチャーにも思い入れがない私としては、やはり、メリル・ストリープに逢いに行くといったほうがふさわしいのだ。

近くで咲いていたヒイラギナンテンの花
とはいえ、彼女との出会いはそれほど古くはないし、熱烈なファンというのともちょって違うだろう。
ヴァージニア・ウルフの小説を映画化した『めぐりあう時間たち』を観て、えらく存在感がある人だなと思ったのが始めだが、あとで調べてみると、あの『ディア・ハンター』の清楚な女優さんも彼女だったのだ。
この映画で、もう一人の女優さんにも逢った。
ニコール・キッドマンである。
だいたい女優さんの顔もよくわからずに映画を見るほうだから、印象に残ったというのは彼女たちの存在感がなせるところだろう。

さて、メリル・ストリープに話を戻そう。
映画そのものもそれほど悪くはなかった。
サッチャーを過度に持ち上げるでもなく、いくぶん突き放していることが良かったのだと思う。それは、老いてしまった現在の彼女からのとぎれとぎれの回想として描いた方法が成功したのだと思う。
幻覚のなか、亡夫デニスと「シャル・ウィ・ダンス」を踊るところで、若き日の二人のダンスがオーバーラップするシーンがなかなか素敵だった。
こうした方法はどこかで観たなあと思ったら、先ごろ亡くなったテオ・アンゲロプロスがしばしば用いたものだと気づいた。

で、メリル・ストリープだが、やはり素敵であった。
最初のシーンからこちらを鷲づかみにしてストーリーのなかに引き込んでゆく。
眼というか、瞳のほんの僅かな動きで、不安や安堵、絶望や希望を表現できる人はそんなに多くはいないだろう。

これは名古屋駅ビルのツインタワー
映画館を出ると、もう薄暮が迫っていた。
今池まで行き、馴染みの店で飲んで帰った。
大垣や米原まで乗り過ごすことなく、無事に岐阜へ降り立った。
自宅まで自転車をこぐなか、久しぶりに聴いた「シャル・ウィ・ダンス」のメロディが頭の中を駆け巡っていた。