73年前の今日、ひとつの戦争が始まった。
大日本帝国海軍が真珠湾の奇襲攻撃を行い、いわゆる「太平洋戦争」の幕が切って落とされたのだ。
それ以前から、大日本帝国の軍隊は、中国大陸を侵略し、満州帝国という傀儡国家をでっち上げ、さらなる戦線の拡張を図っていたのだが、1939年、いわゆるノモンハン事件で惨敗を喫したため、北進を諦め、南進に転じ、真珠湾攻撃はその戦略の開始を告げるものであった。
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なお、ノモンハン「事件」は、日露戦争の経験から、ソ連軍くみし易しとちょっかいを掛けた局地的戦争であったが、そこで手ひどい敗北を喫したため、明らかな敗戦を「事件」と言い換えていたものであった。
しかし、こうした英米を中心とする列強へ面と向かって切った戦端は、当初の奇襲攻撃などの成功による一挙の戦線拡大が逆に災いをなし、米英が体制を立て直すや敗走の一途という地獄の体験を戦線の兵士に強いるものであった。
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ビルマ(現ミャンマー)でのインパール作戦が象徴するように、初頭の奇襲には成功しても、弾薬や食料などの補給が全くなく、兵士たちはただ散り散りにジャングルの中を敗走し、飢えの結果友軍の兵士を食うという壮絶な地獄が出現した。私の実父もそこで死んだのだが、その詳細はわからない。
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そうした棄民的な無謀な作戦は、ニューギニアでも、グアムでもサイパンでもガダルカナルでもアッツ島でも硫黄島でも繰り返され、さらには、東條英機が作成したという軍人訓8の「生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」、要するに「捕虜になるくらいなら死んでしまえ」という命令のもと、「玉砕」という美名での全く無駄な死が強要されたのだった。
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それら南太平洋に展開した作戦がほとんど死屍累々の悲惨のうちに敗退するなか、いわゆる本土決戦のさきがけとして沖縄で地上戦が展開され、駐留の兵士ともども、民間人の多くが死亡した。そして、ヒロシマ、ナガサキ・・・。
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結局この戦争においての日本人の死者数は310万人、そのうち植民地各地での民間人の犠牲、沖縄地上戦や原爆など本土爆撃による民間人の死者は80万人に及んだ。
これが我が国が始めた戦争の我が国の犠牲者の数である。
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しかし、それらを指折り数えることは許されないだろう。
なぜなら、この戦争を始めたばかりに、東アジアを中心とした近隣諸国の死者数は2,000万人に及ぶからだ。
これが、1941年12月8日を起点にして始まったカタストロフィーの帰結であった。
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安倍内閣は「戦争内閣」だといわれる。しかし、私は安倍氏やその周辺が意図的に戦争への道をひたすら進んでいるとは思わない。にもかかわらず、彼が付置した「秘密保護法」や「集団的自衛権」の容認、そして憲法9条の制約から自由であろうとする意図は、そうした戦端を開き得る可能性を体制として整えるものであると思う。
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戦争は、目に見える具体的は措置によってヨーイドンで始まるとは限らない。
先の戦争においても、大正デモクラシーが花開き、それらの余波が昭和に及び、モダンガール(モガ)やモダンボーイ(モボ)が銀座を闊歩するなかで、戦争が可能な体制が、そして何よりもそれを歓迎する大衆的土壌が用意されたのだった。
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そして1941年の今日、真珠湾攻撃の「大成功」を受けて、全国各地では提灯行列がバンザイの歓呼のなかで行われた。
やがてそれが、幾何級数的に増加すす死者たちへのレクイエムへと転じることを知らないままに・・・。
私たちは、瀬戸際に追い詰められて身を翻せるほど利発ではない。
だとしたら、そうした瀬戸際に近づかないことだ。
今度の選挙はそのための一つの結節点でもある。
大日本帝国海軍が真珠湾の奇襲攻撃を行い、いわゆる「太平洋戦争」の幕が切って落とされたのだ。
それ以前から、大日本帝国の軍隊は、中国大陸を侵略し、満州帝国という傀儡国家をでっち上げ、さらなる戦線の拡張を図っていたのだが、1939年、いわゆるノモンハン事件で惨敗を喫したため、北進を諦め、南進に転じ、真珠湾攻撃はその戦略の開始を告げるものであった。
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なお、ノモンハン「事件」は、日露戦争の経験から、ソ連軍くみし易しとちょっかいを掛けた局地的戦争であったが、そこで手ひどい敗北を喫したため、明らかな敗戦を「事件」と言い換えていたものであった。
しかし、こうした英米を中心とする列強へ面と向かって切った戦端は、当初の奇襲攻撃などの成功による一挙の戦線拡大が逆に災いをなし、米英が体制を立て直すや敗走の一途という地獄の体験を戦線の兵士に強いるものであった。
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ビルマ(現ミャンマー)でのインパール作戦が象徴するように、初頭の奇襲には成功しても、弾薬や食料などの補給が全くなく、兵士たちはただ散り散りにジャングルの中を敗走し、飢えの結果友軍の兵士を食うという壮絶な地獄が出現した。私の実父もそこで死んだのだが、その詳細はわからない。
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そうした棄民的な無謀な作戦は、ニューギニアでも、グアムでもサイパンでもガダルカナルでもアッツ島でも硫黄島でも繰り返され、さらには、東條英機が作成したという軍人訓8の「生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」、要するに「捕虜になるくらいなら死んでしまえ」という命令のもと、「玉砕」という美名での全く無駄な死が強要されたのだった。
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それら南太平洋に展開した作戦がほとんど死屍累々の悲惨のうちに敗退するなか、いわゆる本土決戦のさきがけとして沖縄で地上戦が展開され、駐留の兵士ともども、民間人の多くが死亡した。そして、ヒロシマ、ナガサキ・・・。
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結局この戦争においての日本人の死者数は310万人、そのうち植民地各地での民間人の犠牲、沖縄地上戦や原爆など本土爆撃による民間人の死者は80万人に及んだ。
これが我が国が始めた戦争の我が国の犠牲者の数である。
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しかし、それらを指折り数えることは許されないだろう。
なぜなら、この戦争を始めたばかりに、東アジアを中心とした近隣諸国の死者数は2,000万人に及ぶからだ。
これが、1941年12月8日を起点にして始まったカタストロフィーの帰結であった。
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安倍内閣は「戦争内閣」だといわれる。しかし、私は安倍氏やその周辺が意図的に戦争への道をひたすら進んでいるとは思わない。にもかかわらず、彼が付置した「秘密保護法」や「集団的自衛権」の容認、そして憲法9条の制約から自由であろうとする意図は、そうした戦端を開き得る可能性を体制として整えるものであると思う。
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戦争は、目に見える具体的は措置によってヨーイドンで始まるとは限らない。
先の戦争においても、大正デモクラシーが花開き、それらの余波が昭和に及び、モダンガール(モガ)やモダンボーイ(モボ)が銀座を闊歩するなかで、戦争が可能な体制が、そして何よりもそれを歓迎する大衆的土壌が用意されたのだった。
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そして1941年の今日、真珠湾攻撃の「大成功」を受けて、全国各地では提灯行列がバンザイの歓呼のなかで行われた。
やがてそれが、幾何級数的に増加すす死者たちへのレクイエムへと転じることを知らないままに・・・。
私たちは、瀬戸際に追い詰められて身を翻せるほど利発ではない。
だとしたら、そうした瀬戸際に近づかないことだ。
今度の選挙はそのための一つの結節点でもある。