県立図書館で以下の書などを借りてきた。
今月は中頃から多忙になりそうだが、何とか返済日までに読了したい。
「マルティンとフリッツ・ハイデガー 哲学とカーニヴァル」
ハンス・ディター・ツィンマーマン・著 平野嘉彦・訳 平凡社
「ハンナ・アーレント講義 新しい世界のために」
ジュリア・クリステヴァ・著 鈴木隆嘉・訳 論創社
前者のタイトルの「マルティン」の方は、20世紀最大の哲学者といわれたマルティン・ハイデガーの方であるが、「フリッツ」の方はその弟の方である。
この書はどうやら、その二人の関係、フリッツの残した記録や証言などから、二人が生まれ育ったドイツ西南部の小都市・メスキルヒの精神的風土などを紹介し、もってこれまで知られていなかった哲学者の伝記的な側面の補佐、さらには、その思想形成に与えた隠れた面をも追求しようとしたものらしい。
「らしい」というのはもちろんまだ読んでいないからだが、とても面白そうな予感がする。
なお、マルティンに弟がいたことは知っていたが、それがどんなひとで、この兄弟がどんな関係にあったのかはまったく知らないので、その点でも興味がある。
そのフリッツの書き残したものにはこうある。
「聖堂内の香部屋のなかで育ったミサの侍童としてのマルティンを知らぬ者は、たとえその外観はしばしば異なってみえようとも、畢竟、その哲学を理解しませんでした」(1947年)
後者は、ブルガリア生まれで、フランスに移住し、ポスト構造主義の火付け役になった雑誌「テル・ケル」の共同編集者であり、自身、文学理論、記号論、精神分析、哲学の各分野にわたって横断的に活躍しているジュリア・クリステヴァの書で、その彼女が、カナダのトロント大学に招かれ、5回にわたって行ったハンナ・アーレントに関する連続公演の記録である。
ハンナ・アーレントについては、わたし自身、かなり勉強したつもりだが、アーレントがその生を終える頃から活躍し始めたクリステヴァが、どの様にアーレントと向き合うのか、この二人の才女のあいだの対話的な講義に、少しときめくようなものを感じる。
ところで、この二つの書にはかすかだが関連がある。
若き日の「マルティンとハンナ」の関係は知る人ぞ知るところだが、それもあって、ハンナは、弟・フリッツとも何らかの交流があったようで、1970年の3月には、マルティン宛にフリッツの手紙に触れた文章を送っている。
「・・・・あなたの弟さんの手紙について書こうと思っていました。・・・・あなたは、カントの弟の手紙を知っていますか。あなたの弟さんの場合は、まったく違っています。堅苦しいところがはるかに少なくて、そんなにも自在で、こんなにも愛すべき皮肉に満ちていて、だけど、どこかしれ似ているのです」(1970年)
私の好奇心をそそる書、2冊に出会えたという意味で、今回の図書館行きは実りあるものであったと、まだ読む前から満足している。
書を読み、理解する能力は年々衰えているが、こういう書に出会い、刺激をもらうと、何だか再活性化してくるような気もする。
今月は中頃から多忙になりそうだが、何とか返済日までに読了したい。
「マルティンとフリッツ・ハイデガー 哲学とカーニヴァル」
ハンス・ディター・ツィンマーマン・著 平野嘉彦・訳 平凡社
「ハンナ・アーレント講義 新しい世界のために」
ジュリア・クリステヴァ・著 鈴木隆嘉・訳 論創社
前者のタイトルの「マルティン」の方は、20世紀最大の哲学者といわれたマルティン・ハイデガーの方であるが、「フリッツ」の方はその弟の方である。
この書はどうやら、その二人の関係、フリッツの残した記録や証言などから、二人が生まれ育ったドイツ西南部の小都市・メスキルヒの精神的風土などを紹介し、もってこれまで知られていなかった哲学者の伝記的な側面の補佐、さらには、その思想形成に与えた隠れた面をも追求しようとしたものらしい。
「らしい」というのはもちろんまだ読んでいないからだが、とても面白そうな予感がする。
なお、マルティンに弟がいたことは知っていたが、それがどんなひとで、この兄弟がどんな関係にあったのかはまったく知らないので、その点でも興味がある。
そのフリッツの書き残したものにはこうある。
「聖堂内の香部屋のなかで育ったミサの侍童としてのマルティンを知らぬ者は、たとえその外観はしばしば異なってみえようとも、畢竟、その哲学を理解しませんでした」(1947年)
後者は、ブルガリア生まれで、フランスに移住し、ポスト構造主義の火付け役になった雑誌「テル・ケル」の共同編集者であり、自身、文学理論、記号論、精神分析、哲学の各分野にわたって横断的に活躍しているジュリア・クリステヴァの書で、その彼女が、カナダのトロント大学に招かれ、5回にわたって行ったハンナ・アーレントに関する連続公演の記録である。
ハンナ・アーレントについては、わたし自身、かなり勉強したつもりだが、アーレントがその生を終える頃から活躍し始めたクリステヴァが、どの様にアーレントと向き合うのか、この二人の才女のあいだの対話的な講義に、少しときめくようなものを感じる。
ところで、この二つの書にはかすかだが関連がある。
若き日の「マルティンとハンナ」の関係は知る人ぞ知るところだが、それもあって、ハンナは、弟・フリッツとも何らかの交流があったようで、1970年の3月には、マルティン宛にフリッツの手紙に触れた文章を送っている。
「・・・・あなたの弟さんの手紙について書こうと思っていました。・・・・あなたは、カントの弟の手紙を知っていますか。あなたの弟さんの場合は、まったく違っています。堅苦しいところがはるかに少なくて、そんなにも自在で、こんなにも愛すべき皮肉に満ちていて、だけど、どこかしれ似ているのです」(1970年)
私の好奇心をそそる書、2冊に出会えたという意味で、今回の図書館行きは実りあるものであったと、まだ読む前から満足している。
書を読み、理解する能力は年々衰えているが、こういう書に出会い、刺激をもらうと、何だか再活性化してくるような気もする。