もう稲刈りを迎えたところもあるという。
しかし、この辺りは総じて遅場米の産地(ハツシモなど)であり、今は稲の花盛りである。
田園地帯に育ったひとには珍しくもなんともないが、なかには、「エッ、稲って花が咲くの」という都会ぐらしの人もいらっしゃると思い、ここに近くで撮したものを掲載。
もう一つは、二階の私の部屋の窓辺のマサキの実。こんなまんまるで可愛い表情をしている。この樹、3ヶ月ほど前には、こんな細かな花をつけていたのだった。
やがて秋が深まり、冬に近づくと、この実は赤く色づいてくる。鳥たちがそれを目ざとく見つけて食べにやってくる。それを観るのも楽しみだ。
そしてこの樹の下の方の枝には、この前も書いたが、目下、キジバトが巣をかけ、抱卵中なのだ。2週間ほどで孵化し、さらに2週間ほどで巣立ちを迎えるという。
それから逆算するに、孵化は間近いといえる。わくわくするほど楽しみだ。
なぜこれを同居人というかというと、巣の位置が、一階の南側、私の目線より少し上で、その距離はわずか2m程の至近距離にあるからなのだ(2階のベランダからも見下ろせる)。
だから、私が巣の方を見ると、当然目線が合うのだが、若干の警戒はするかもしれないが、外見上(鳥の表情はわからない)さして動揺もせず、抱卵を続ける。
それでも、できるだけ刺激は避けているのだが、用があって、たまたますぐ下を通りかかっても平然としている。
これだけの信頼関係(?)にあるのだから、同居人といっていいだろう。
外出の折、近くの鎮守様を通りかかったら、心なしかモミジの色が変わり始めたような気もする。
「ひとはいざ心も知らず」ではないが、季節の営みは、そして動物たちの営みも、確実にその時間軸に沿って歩み続けているようだ。
それにしても、昨日と土曜日は天候に恵まれたが、日曜日からはまた雨に見舞われるという。これも自然の営みだから致し方ないが、今はあまり激しく降るなと祈っている。
子育てに専心しているキジバトのためにだ。
叩きつけるような雨のなか、身じろぎもせず卵を守る親鳥の姿は、あまりにも切なくいじらしい。
しかし、この辺りは総じて遅場米の産地(ハツシモなど)であり、今は稲の花盛りである。
田園地帯に育ったひとには珍しくもなんともないが、なかには、「エッ、稲って花が咲くの」という都会ぐらしの人もいらっしゃると思い、ここに近くで撮したものを掲載。
もう一つは、二階の私の部屋の窓辺のマサキの実。こんなまんまるで可愛い表情をしている。この樹、3ヶ月ほど前には、こんな細かな花をつけていたのだった。
やがて秋が深まり、冬に近づくと、この実は赤く色づいてくる。鳥たちがそれを目ざとく見つけて食べにやってくる。それを観るのも楽しみだ。
そしてこの樹の下の方の枝には、この前も書いたが、目下、キジバトが巣をかけ、抱卵中なのだ。2週間ほどで孵化し、さらに2週間ほどで巣立ちを迎えるという。
それから逆算するに、孵化は間近いといえる。わくわくするほど楽しみだ。
なぜこれを同居人というかというと、巣の位置が、一階の南側、私の目線より少し上で、その距離はわずか2m程の至近距離にあるからなのだ(2階のベランダからも見下ろせる)。
だから、私が巣の方を見ると、当然目線が合うのだが、若干の警戒はするかもしれないが、外見上(鳥の表情はわからない)さして動揺もせず、抱卵を続ける。
それでも、できるだけ刺激は避けているのだが、用があって、たまたますぐ下を通りかかっても平然としている。
これだけの信頼関係(?)にあるのだから、同居人といっていいだろう。
外出の折、近くの鎮守様を通りかかったら、心なしかモミジの色が変わり始めたような気もする。
「ひとはいざ心も知らず」ではないが、季節の営みは、そして動物たちの営みも、確実にその時間軸に沿って歩み続けているようだ。
それにしても、昨日と土曜日は天候に恵まれたが、日曜日からはまた雨に見舞われるという。これも自然の営みだから致し方ないが、今はあまり激しく降るなと祈っている。
子育てに専心しているキジバトのためにだ。
叩きつけるような雨のなか、身じろぎもせず卵を守る親鳥の姿は、あまりにも切なくいじらしい。