春は逝くのが早い。
ついこの間まで、ぱっと明るかった桜の並木も、何ごともなかったかのように取り澄まし、新緑へと衣替えしてしまった。
気の早いたんぽぽはもう綿毛を飛ばし始めた。
つい先ごろ、近所で見つけた菫の花も、今日通りかかったらもうすっかりしぼんでしまっていた。
私の六〇年来の旧友も、逝く春を追うようにして逝ってしまった。
人が逝くといえば、当初一桁だった熊本地震の死者数は、ついに数十人の規模に達した。
普通、本震があって、余震は徐々に収まってゆくものだが、今回は後のほうが大きかった。ということは、前のものが予震で、後のものが本震だったというわけだ。
いろいろな専門家や解説者が最初の地震について語っていたが、そして一様に、余震に注意とはいっていたが、それ以降にもっと大きな地震がくることを予測してはいなかったと思う。
それを責めているのではない。ことほどさように、世界で起こる事象は不確定であるということだ。私たちが法則性と呼んだり、蓄積された知=経験知と呼んだりするものは、常に具体的な出来事によって裏切られてゆくものにすぎない。
もっとも、知の方も取り逃がした事象をさらに包含しうる法則を求めて苦闘する。
人間の知と生きた現実とのせめぎ合いこそが人間の歴史そのものなのかもしれない。
それを、醒めた眼差しで見続けたのが逝ってしまった私の旧友だった。彼は、現実の変転をあるところで自分の都合のいいように停止させ、それをもって全体を理解しようとする思想を許せなかった。だから、それにいま一度現実を突き付け、その矛盾を指摘し続けた。
それはあたかも、ソクラテスがしつっこい虻のごとくありきたりの知を振りまく連中に迫ったのと相似形とも思えた。
それは、ある時は辛辣で、またシニカルでもあった。
私は終始、圧倒され続けた。
彼が逝ってしまったいま、私はいささか戸惑っている。
彼は私にとって無言の参照項だったのだ。
いや、これからもそうであろう。
それが彼と生きてきたことの証であるし、ともに過ごした私たちの青春へのオマージュであるのだから。
ついこの間まで、ぱっと明るかった桜の並木も、何ごともなかったかのように取り澄まし、新緑へと衣替えしてしまった。
気の早いたんぽぽはもう綿毛を飛ばし始めた。
つい先ごろ、近所で見つけた菫の花も、今日通りかかったらもうすっかりしぼんでしまっていた。
私の六〇年来の旧友も、逝く春を追うようにして逝ってしまった。
人が逝くといえば、当初一桁だった熊本地震の死者数は、ついに数十人の規模に達した。
普通、本震があって、余震は徐々に収まってゆくものだが、今回は後のほうが大きかった。ということは、前のものが予震で、後のものが本震だったというわけだ。
いろいろな専門家や解説者が最初の地震について語っていたが、そして一様に、余震に注意とはいっていたが、それ以降にもっと大きな地震がくることを予測してはいなかったと思う。
それを責めているのではない。ことほどさように、世界で起こる事象は不確定であるということだ。私たちが法則性と呼んだり、蓄積された知=経験知と呼んだりするものは、常に具体的な出来事によって裏切られてゆくものにすぎない。
もっとも、知の方も取り逃がした事象をさらに包含しうる法則を求めて苦闘する。
人間の知と生きた現実とのせめぎ合いこそが人間の歴史そのものなのかもしれない。
それを、醒めた眼差しで見続けたのが逝ってしまった私の旧友だった。彼は、現実の変転をあるところで自分の都合のいいように停止させ、それをもって全体を理解しようとする思想を許せなかった。だから、それにいま一度現実を突き付け、その矛盾を指摘し続けた。
それはあたかも、ソクラテスがしつっこい虻のごとくありきたりの知を振りまく連中に迫ったのと相似形とも思えた。
それは、ある時は辛辣で、またシニカルでもあった。
私は終始、圧倒され続けた。
彼が逝ってしまったいま、私はいささか戸惑っている。
彼は私にとって無言の参照項だったのだ。
いや、これからもそうであろう。
それが彼と生きてきたことの証であるし、ともに過ごした私たちの青春へのオマージュであるのだから。