おお、麻生太郎氏よ!
国連総会などで北朝鮮とアメリカとのガキの口喧嘩のような応酬がなされ、麻生君の盟友、安倍君はトランプに追随し、「もはや対話は終わった」と両者の軍事衝突を煽るかのような演説をぶち上げた。
それがどれほどの悲惨を招くかは、双方が遠距離攻撃の手段を持ち、更には核兵器を所有しているとあって深く考えるまでもなく明らかである。

もしガチンコ勝負になれば、北は壊滅的な打撃を受け、崩壊を余儀なくされるであろう。そうした国家単位の問題はともかく、問題はそこで生活している庶民である。おそらく多くの民が難民として近隣諸国へ押し寄せることとなる。
わが麻生君は流石に先見の明があって、それら難民に言及している。「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」というのが彼の予測というか見通しである。

武装したままで難民というのは考えにくいが、いずれにしても「射殺」さえも考慮に入れるその思考の凄まじさには戦慄すべきものがある。難民を射殺するというのはそれが多発しているシリアやそれらと対応しているヨーロッパでも聞いたことはない。
ところで、麻生君の出身母体が「麻生セメント」であることはよく知られた事実である。
その麻生セメントであるが、そのまた前身は麻生鉱業という炭鉱であった。戦前、この炭鉱では、半ば強制動員された朝鮮人労働者や被差別民が働いていたが、あまりにも劣悪な労働条件に、労働争議が起こっている。

麻生鉱業で働いていた捕虜たち
さらに敗戦間際には、第二次大戦中の捕虜300人ほどを働かせていたのだが、そのうちの何人かが、やはり劣悪な労働条件のなかで死亡している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E9%89%B1%E6%A5%AD
麻生太郎君が、今日政治家として副総理の地位を占め、夜な夜なバー通いをしうるのはそうした麻生財閥の蓄財のおかげなのである。
ようするに、植民地支配や戦争という状況下にあって、難民に相当するような人たちを劣悪な条件下でこき使ってきた一家の歴史が今日の麻生君を産んできたわけだ。
その麻生君が今や、難民の射殺に言及するということはどういうことなのだろうか。

彼にとっては、私たちのように政治情勢によっていかんともしがたく漂流し、難民化せざるを得ない存在は、劣悪な条件でこき使うか、場合によっては射殺して抹消すべき消耗品にすぎないのだ。
ここには恐るべき人間観の荒廃があるのだが、ノーテンキな彼はそれに気づくこともなく、「合理的な」解決法としてそれを述べ立てているのである。
少し前には、「いくら志が良くても、ナチスのように何人も殺してはいけない」と発言し、それを撤回したが、今回は「自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。」と殺すことをも辞さないという「志」を披露したことになる。
国連総会などで北朝鮮とアメリカとのガキの口喧嘩のような応酬がなされ、麻生君の盟友、安倍君はトランプに追随し、「もはや対話は終わった」と両者の軍事衝突を煽るかのような演説をぶち上げた。
それがどれほどの悲惨を招くかは、双方が遠距離攻撃の手段を持ち、更には核兵器を所有しているとあって深く考えるまでもなく明らかである。

もしガチンコ勝負になれば、北は壊滅的な打撃を受け、崩壊を余儀なくされるであろう。そうした国家単位の問題はともかく、問題はそこで生活している庶民である。おそらく多くの民が難民として近隣諸国へ押し寄せることとなる。
わが麻生君は流石に先見の明があって、それら難民に言及している。「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」というのが彼の予測というか見通しである。

武装したままで難民というのは考えにくいが、いずれにしても「射殺」さえも考慮に入れるその思考の凄まじさには戦慄すべきものがある。難民を射殺するというのはそれが多発しているシリアやそれらと対応しているヨーロッパでも聞いたことはない。
ところで、麻生君の出身母体が「麻生セメント」であることはよく知られた事実である。
その麻生セメントであるが、そのまた前身は麻生鉱業という炭鉱であった。戦前、この炭鉱では、半ば強制動員された朝鮮人労働者や被差別民が働いていたが、あまりにも劣悪な労働条件に、労働争議が起こっている。

麻生鉱業で働いていた捕虜たち
さらに敗戦間際には、第二次大戦中の捕虜300人ほどを働かせていたのだが、そのうちの何人かが、やはり劣悪な労働条件のなかで死亡している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E9%89%B1%E6%A5%AD
麻生太郎君が、今日政治家として副総理の地位を占め、夜な夜なバー通いをしうるのはそうした麻生財閥の蓄財のおかげなのである。
ようするに、植民地支配や戦争という状況下にあって、難民に相当するような人たちを劣悪な条件下でこき使ってきた一家の歴史が今日の麻生君を産んできたわけだ。
その麻生君が今や、難民の射殺に言及するということはどういうことなのだろうか。

彼にとっては、私たちのように政治情勢によっていかんともしがたく漂流し、難民化せざるを得ない存在は、劣悪な条件でこき使うか、場合によっては射殺して抹消すべき消耗品にすぎないのだ。
ここには恐るべき人間観の荒廃があるのだが、ノーテンキな彼はそれに気づくこともなく、「合理的な」解決法としてそれを述べ立てているのである。
少し前には、「いくら志が良くても、ナチスのように何人も殺してはいけない」と発言し、それを撤回したが、今回は「自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。」と殺すことをも辞さないという「志」を披露したことになる。