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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

霜月の不定愁訴とご近所散策

2017-11-04 01:14:49 | 写真とおしゃべり
 遅めの台風が去った10月末からの好天続きで、霜月の出足、気候は快適だ。
 しかしこちとらの気分はいまひとつ晴れない。「月は晴れても心は闇だ」というのは「金色夜叉」の間 貫一の台詞だが、折しも昨日今日は月が満ちている。

          

 ひとつには、30年以上前からの知り合いにして、ここ10年ほどは毎月一回以上はお目にかかっていた同人誌の先達、稲垣喜代志さん(地方の出版社ながら、マイノリティの目線から問題提起を続けた「風媒社」の創設者)の突然の訃報に接したことにもある。

              
 
 ましてや、亡くなられてからの幾ばくもしない時間に、そのお連れ合いからの涙ながらの電話でのお知らせは、生々しく、いまもこの耳にこびりついている。
 私はスリッパの不意打ちを食らったゴキブリのように、返す言葉を失ったまま、ぐるぐると同じところを回っていたのであった。

          

 この歳になると、世の無常は幾度も経験し、知り尽くした感があるが、それでもなお、身近でそれが続くと、なんだかじわじわっと包囲網が狭められたようで気が滅入ることこの上ない。

          

 むろん、それのみが要因ではないが、私自身の不定愁訴のようなものがそのはけ口を失ったまま蓄積され、いささか自傷気味となっている。
 そういえば、30日に外出して以来、ほとんどこもりっきりで、したがって他者と言葉もほとんど交わしていない。

          

 ただしこの2日、歯科医へ行って医師と言葉を交わしたが、これとて症状の説明ぐらいでいわゆる対話とは程遠いものである。これはちょっとヤバイ。
 こんなとき、稲垣さんがよくそうしていたように、誰かに電話をしたりするのも手なのだと思うが、あいにくその習慣もないし相手もいない。

          

 そんなときは書く以外ないとこれを書いてるが、とくに誰かに何かを伝えようとするものではない。
 だから、これを読む人は、何か有意味なメッセージとしてではなく、私が自分の傷口を縫合するための所作、ないしはルーティンだと思って読み流してくれればよい。

          

 写真は2日に歯科医へ行ったついでに、気を紛らわそうと散策をした折のものである。いずれもわが家を中心に半径500メートル内の円周に入る場所でのものだが、いろいろ複雑に入り組んで歩いたため、歩数は4,000歩に近くなった。

          

 写真の中の柑橘類、いちばん凸凹しているのが私の頭ほどもある鬼柚子で、次に凸凹している(三個の実が写っている)のが普通の柚子、そして、すべすべして複数の実が映っているのが大型のミカンの仲間。赤い小さな実の集団はサンザシ。
 そのほか、わけのわからないのは生け垣に張られた細やかな蜘蛛の巣。
 ナンテンの紅葉のみが、わが家のもの。

          

 今月は月末近くにしっかりこなすべきスケジュールが重なっている。そろそろエンジンをふかして始動しなければと思っている。

 
コメント
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