洗濯をしたが岐阜地方の午前中は雨残りでどんよりした空が重い。近くのコインランドリーへもっていって乾燥だけとも思ったが、濡れた洗濯物は重くて腰にこたえる。
一時間予報を見たら午後は晴れとあったのでそれを待って乾す。予報通り晴天になりホッと。まさに「待てば海路の日和あり」だ。

私が「待てば海路の日和あり」という言葉をおぼえたのは小学生の頃で、その教材(?)はラジオで聴いた二代目廣澤虎造の浪曲「石松三十石船道中」でだった。
戦後間もない頃で、まだTVもなく、夜の娯楽といえば落語や浪曲を大人たちに混じって聴く以外になかった。だから、浪曲の古典などは未だにいろいろ思い出す。
いま聞き返してみると、虎造の節と語り、それに音曲師の三味と合いの手が絶妙である。
ところで、「待てば海路の日和あり」はその7分42秒辺りから、そしておなじみの「馬鹿な死ななきゃ治らない」は24分16秒辺りにある。
*この後者は差別語になるのかなぁ。