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クラスター爆弾を使用するウクライナを支持できますか?

2023-07-10 10:36:30 | 社会評論

 あウクライナはアメリカが供給するクラスター爆弾を対ロ戦に使用するという。
 この爆弾は、いわゆる親子爆弾といわれ、親爆弾のなかには数百個の小型爆弾が収納され、それらが空中での親爆弾の炸裂に伴い、広い範囲に拡散して炸裂するという「効率性」の高い爆弾である。ということは、限定された軍事目標にとどまらず、無辜の住民にまで被害を及ぼしかねない。
 しかもこの子爆弾たち、着地点によっては、その時点で炸裂せず不発弾として残り、事後的に思わぬ被害を生み出す。

 この爆弾は、ヴェトナム戦争で米軍によって使用され、その悲惨さに非難が起こり、その不使用のための国際条約が提起され、現在百カ国以上がそれを支持している。日本の自衛隊は、一時期、それを保有していたが、今は廃棄処分にしてるという。それをいま、ウクライナが使用しようとしてる。

       

 私はこれに反対する。もともと、ゼレンスキー良い人、プーチン悪い人といった単純なウクライナ支援(メディアの大半がそうだ)には加担してこなかったが(とはいえ、ロシアを支援しているわけではない)、その「徹底抗戦」の方策が悲惨の拡大であることが許されていいはずがない。
 もし、この戦争が悲惨の拡大再生産を肯定するものならば、ロシアの限定的な核兵器の使用も制限しようがなくなる。

 方策は唯一つなのだ。直ちに停戦、そして話し合いのテーブルに着くこと。
 私はこの戦争がはじまる前に書いたことがある。ウクライナはNATOへの加入を当面、見送ること、ロシアはウクライナ領への侵攻を止めることである。この二つは糾える縄のようなものだ。ウクライナはロシアの侵攻に備え、NATOを後ろ盾にしようと思い、そしてそれはロシアにとって、自分の喉元に短刀をつきつけられるようなものであり、ウクライナ抹殺へと走る。

 私にとっては正義だとか理念だとかはどうでもいい。むしろ、そんなものはない方がいい。そんな観念的なものよりも、もっと価値を持つのが「悲惨の減少」である。プラグマティストのR・ローティが晩年、現代思想の相対主義(なにが真理かわからない)に対し、掲げ続けたのがこの「悲惨の減少」という論理=倫理であった。
 もちろん、なにが悲惨でなにが悲惨でないかはそれ自身問題であるが、ゼレンスキーのクラスター爆弾使用は明らかに悲惨の拡大を意味している。そしてそれは、ロシア側からの新たな悲惨を招きかねないというべきだろう。


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