■7月某日 留魂?
7月1日、奈良に安倍の「留魂碑」が建立され、迷妄神秘主義者の高市早苗が、「安倍先生の霊魂はこの世に留まっている」とのたわごとをことありげに述べているが小うるさい。
実は、安倍胸像は某所に密かに建立されているのを私は知っている。この事実は、そして目撃者は、10人前後であろう。
しかし私は、この詳細を述べようとはしない。これはその作者やプロデュ−サーとの約束だから。
■7月某日 岐阜県図書館にて
先月の手術以降、なんかこちらから積極的に行うことが億劫になって、TVのドキュメンタリー風のものを観たり、音楽を聴いたりと受け身でできることしかしていない。
読書もあまりしていない。読書というのは、そこに書かれていることを咀嚼しつつ解釈を加えてゆかねばならないという意味で、意外と能動的なものなのだ。
こんなことではいけないと思って、図書館へ出かけた。図書館で借りるということは、返却日までに読むという負荷を自分にかけるという意味で、怠惰な私の尻にムチを入れることにつながる。
そんなことで、つい、4冊を借りてしまった。これを20日間ぐらいの間に読了するのは骨が折れる。そのうち2冊ほどは、ノートを取る必要がありそうだから読み流しにはできない。
図書館へ行ったついでに、資料室で1960年の6ヶ月分の「朝日新聞」「中日新聞」(60年代は「中部日本新聞」だった)を閲覧し、ちょっとした調べごとをした。これには2時間半ほどかかり、帰宅したらドット疲れが出てへたり込んだ。
たんに物事を知る、調べるというのは結構疲れるものだ。探している記事を見つけようと神経を過度に集中しなければならなからだろう。お陰でいくつかの情報を拾えたし、私が誤って記憶していた事実も正すことができた。
図書館内の鏡にかなりくたびれた爺さんが映っているのを見て、あんな人に図書を貸して返却日前に死んじゃったらその図書はどうなるのかななどと考えた。それが自分だという事はわかっていたが・・・・。
■7月某日 マイナカード
マイナカードが不完全でトラブルを起こしているから反対しているのではない。それ自身が家畜の耳につけられたチップのように、国家が国民をトータルに管理するツールだからだ。健保の後はキャッシュカード、図書券などとすべてを一元化する方向に進むだろう。これぞ国家による国民の生活全般の掌握と管理なのだ。
そしてそれは、フーコーいうところの「生政治」の究極の完成というべきだろう。そもそも、国家がそこまで国民の生活に踏み込む国家形態はおかしいのだ。
■7月7日 全快
朝一で手術・入院をしていた岐阜市民病院へ。主治医(執刀医)から全快のお墨付き。これで諸制限から開放される!
ただし、この間、断酒で食欲減退のため、体重を数キロ減らしたので、その回復に努めなければ・・・・。
読書もあまりしていない。読書というのは、そこに書かれていることを咀嚼しつつ解釈を加えてゆかねばならないという意味で、意外と能動的なものなのだ。』
と、こんな文章が書ければ、十二分に精神はお若い。僕も、ずっと習慣になって来た有酸素運動から4日遠ざかると、もう「受け身」で「能動的」が欠けてくる。
政論家として繰り返し読んできたノーム・チョムスキーは、1928年生まれ。今でも「口答対談本」を出していますよ。恐ろしい能動性・記憶力です。