六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

最近の食の話題二つ キャベツと弁当

2024-12-20 23:04:13 | よしなしごと

夏場の日照りがいまなお尾を引いているとかで、野菜が高い。やや落ち着いてきたとはいえ、キャベツが一玉400円を超えたりした。
 節約しながら使っていたが、近くのドラッグストアで、やや小玉だが一玉99円のものが!すかさずゲット。もう一玉ぐらいと思ったら、「おひとリ様一個限定」と赤い文字が。五個ぐらい残ったうちから、大きくて巻きがしっかりしたものを買う。
      

 写真がそれだが、この外皮、これぐらいなら捨てはしない。少し湯がけば、焼きそばの具や、野菜炒めのなかでも使える。

最近の弁当。

     

 上から小松菜のゴマ汚し、ニンジン煮付け、京揚げ、鶏もも肉スキ煮、卵焼き。

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今どきの話題二つ 韓国&落葉

2024-12-17 01:30:32 | よしなしごと

【韓国の民主主義】以下は、韓国の今回の事態について、私の友人があるSNSで触れていた記事について、私がつけたコメント。この友人もまた韓国での民主主義機能派。
  =============================
 今回の事態を指して韓国の後進性をいい立てるような叙述に出会うが、これは完全な間違い。韓国では日本と異なり、三権分立がちゃんと機能していて、司法が行政をチェックすることが多いが、日本では安倍夫妻の森友への肩入れ、安倍、萩生田の加計学院問題への介入もお構いなしどころか、民間からの告訴も門前払い。
 
 また韓国では今回のような事態には何十万単位の民衆が国会へ駆けつけ、意思表示をするが、日本でそんなことは1960年にあったっきり。
 日本の民主主義と称するものは、敗戦後、米占領軍によって上から形式的に与えられたもの。それに対して韓国のそれは、戦後の済州島事件やその後の朝鮮戦争、さらにその後の朴正煕、全斗煥などの独裁時代のなかで人民の戦いそのものによって勝ち取ってきたもの。
 
 だから大丈夫とは断定できないが、韓国の政情についてものをいうならば、少なくともそれだけの歴史的経緯を念頭に置いた上にすべきでしょう。

【落葉が遅い】
 いよいよ本格的な冬将軍の到来ですが、一方、長かった夏の影響がまだ見られます。紅葉した木々の落葉が遅いのです。
 以下の写真はそれぞれ私の住まい岐阜市のものですが、公孫樹も樹の下にいくぶんかの洛東が見えるものの、大多数はまだまだ木にしがみついています。
 最後の写真は、私の家にある桜ん坊のなる木ですが、紅葉はしているものの、洛陽はまだほとんどありません。もっと紅葉するはずですから、正月頃が紅葉の見頃になるかも。

     

     
          
       



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24歳で夭逝した詩人、藤田文江全集の刊行によせて

2024-12-13 00:48:03 | 書評
 SNSのMIXI の全盛時代からお付き合いのある畏友・谷口哲郎氏から、文字通り渾身の力作である書籍をいただいた。
 書名は『藤田文江全集』。1908年から33年とわずか24歳の短い人生を駆け抜けたこの詩人は、生前、1冊の詩集(『夜の聲』1933年)を残すのみであった。しかもその詩集の初刷り300部は、彼女の通夜の席に届くという劇的な生涯であった。

 もちろん、今回の全集にはその『夜の聲』はまっさきに収録されているが、その他の彼女の作品や散文、手紙などは、当時発刊されていた各詩誌などさまざまな媒体に発表されていて、このままでは散逸は免れがたいものであった。
 それらを長い年月、全国津々浦々まで足を伸ばし、収集し、一冊の冊子で目にすることができるようにしたのが谷口氏の今回の仕事であった。氏によって集められたそれらの諸資料は、『夜の聲』掲載詩などの2倍以上に達する。
 繰り返しになるがそれらは時代とともに蒐集が困難になり、散逸の危機にあったものであり、その収集復元それ自体が文学史上、詩壇史上の一大功績といわねばならない。

           

 さらには、谷口氏が調査するなかで明らかになってきた彼女の生前、死後のさまざまな痕跡が年譜としてまとめられている。
 彼のそうした緻密な調査の結果のひとつとして、2020年に収録された藤田文江の末妹・林山鈴子さんとのインタビュー記事も興味深い。

 これらすべての作品、資料が、居ながらにして一望できるようになった成果は何度強調してもし足りないほどだ。

 書の後半は、谷口氏による「解説」と題されているが、これはたんに氏が蒐集してきた藤田文江の作品、ないしはそれにまつわる諸資料の説明に終わるのではなく、藤田文江に触発された谷口氏自身の詩壇史への見解、詩論が、一般論ではなく、藤田文江の作品に即して具体的に、しかも熱く語られている。この谷口氏自身の表現への情熱と、藤田のそれとがあるときには互いに融合し、またあるときには格闘し合っているかのようにもつれながら展開される叙述は、もはや通りいっぺんの「解説」にとどまらないことは明らかだ。

 おおよそ100年近く前、この国が戦争へと歩み始めた折に詩作のピークを迎える藤田の詩風を、ひとまずモダニズムと捉えながら、谷口氏はそこにとどまらない藤田の詩の力を見出してゆく。
 圧巻は、藤田の先行者と目される萩原朔太郎の作品、「竹とその哀傷」や「竹」(1917年)と、藤田の「五月の竹林にて」(1932年)を対比させながら、その差異、藤田の側からの脱構築的批判の姿勢、あるいは藤田の詩にある時代そのものへの違和感などを析出してゆくくだりで、果たせるかな1938年に至って「日本主義への回帰」を行うその後の朔太郎を知っている私たちに、藤田の詩に内在する確かな地盤、その言葉の重力のようなものを指し示してくれるにじゅうぶんな記述である。

             

 最後に、その藤田の「五月竹林にて」を紹介してこの小文を終えるが、表記の都合上、その行間表示などは、オリジナルと異なることを許してほしい。

「五月の竹林にて」

白い紙が流れている。
おびただしいその紙が
何処に流れてゆくのか
私には何もわからない。

時折しぶきの様な風が
優しい眼を動かしてすぎる。
月日というものは
この竹林(くに)の何処にもないらしい。
明るい磨いた鏡のような
     *
美しい竹林(せいねん)がにこにこ笑って
立っている。
その青い肉體を
私は愕いてみまもるばかりだ。

たとへ花の様な少女が
これが死んだにしろ
彼はやはりにこにこしてゐるにちがひない。
全く泣くよりも笑ってゐたほうが
お互いの生活は明るくなるのだから。
よしんば窶(やつ)れて
一本の繊維のみになるにしても。
     *
手を叩けば
一せいにふりむく無邪気な林だ。
私は一粒の米のように寂寥である。
過去、現在、未来に
開花し 開花するであらう
悪の華を吊すには
この竹林(くに)はあまりに明るすぎるのだ。
何故天は上にあり
何故土は下にある
何故月は上にあり
何故水は下にある
又、
人は何故蛇の様に孤独を寂しがるのだ
そして又、
夜何故水は月を抱いているのだろう。

       詩集「夜の聲」より
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【踊り串と飾り包丁】

2024-12-09 14:47:27 | よしなしごと

先般、魚の踊り串について書いたら、調理をする人から意外と反応があったので続きを。
■断っておくが、私は居酒屋業に携わっていたが調理師ではない。だから、一緒に仕事をした板場の作業の見様見真似にすぎない。

フォト


最初はカマス。二尾並んでいるが、手前のほうが魚がよく踊っている。しかしやや問題がある。

フォト


■カマスが焼き上がったもの。問題があるといったのは、斜めに入れた飾り包丁(これ自身、身をほぐして食べやすくする作用がある)が深すぎて、右の方に汚れが出てしまったこと。

■ついでカレイ。魚屋で捌いてもらったのだが、エラの処理など表にも深い傷を残しているのが気になる。

フォト


■焼き上げる。やはりエラの部分が必要以上にえぐれてしまった。

フォト


■クロスに入れた飾り包丁がきれいに焼き上がらなかったのは、魚の鮮度が刺し身になる程度に良かったからで、鮮度の良いカレイは煮ても焼いても飾り包丁のあとは弾けたようになる。実際に身が締まっていて弾けるのだが。

■何やかやいって、両方とも美味かったからまあいいや。
■やはり毎日、串打ちをしていた頃からみると腕は落ちている。頭と尻尾がピンと上がり、胴が膨らんで、全身がもっと踊らねばならないのだが。

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久々の自作弁当公表

2024-12-06 01:22:13 | フォトエッセイ

 自作弁当の久々の公表。おかずは上から、白カブあっさり煮、ついで削った皮を上にしたためわかりにくいがカボチャ煮付け、赤ウィンナー、鶏もも肉ソティ、卵焼き。ご飯は、岐阜県産米ハツシモ。自己採点、81.6点。ちょっと甘いか?

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岐阜の夜景 JR岐阜駅のイルミネーション

2024-12-05 00:33:47 | 写真とおしゃべり

 岐阜に住んでいながら岐阜の夜景を見る機会は少ない。岐阜駅南方の住宅街(数年前までは半ば田園地帯ともいえたのだが)に住んでいるが、年齢とともに夜間の外出を控えているせいもある。
 また、学生時代や働いていた頃はず~っと名古屋だったので、いまでも名古屋のほうが人脈が多く、夜に至る会合などはほとんど名古屋だからである。その意味では、名古屋の夜景を見る機会のほうが多いといえる。
 
 昨日は、久々に岐阜の中心部近くで会合があり(名古屋からの出席者も)、限られた範囲とはいえ、岐阜の夜景に接する機会があった。
 それらを以下に羅列する。

          

 会合が行われたのは岐阜のメインストリート。地名は神田町。で、歩道上にこの垂れ幕。

       

    神田町通り(今の名称は長良橋通り)金宝町付近から名鉄岐阜駅方面を

 以下はJR岐阜駅大階段のイルミネーション

          
      
      
      
         
           
          イルミネーションを見下ろしてる黄金の信長公立像
   
        
        JR岐阜駅北広場 休日にはさまざまなイベントが行われる
   
            
           岐阜バス4番乗り場 ここからバスに乗って帰宅

            
                  バス前方の夜景
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師走!定番料理二題と名古屋駅付近のイルミネーションなど

2024-12-01 01:28:20 | よしなしごと

 カレンダーをめくる。あと一枚。老いの身ながら今年は為すべきこと山積。あと5,60日はほしいところ。

 ここに記したのは11月30日の体験。
 まずはこの時期の定番料理から。
 今季初の赤カブ漬け。目加減の塩ではなかなかカブが赤くなってこないので、少し追い塩。赤くなったところで漬物器から上げた。試食。うん、これならOK.。しばらくは楽しめそう。

      

 ついでおでん。代わり映えのするものは何も入っていないが、私のおでんは出汁が濁らないで澄んだままなのが自慢。

      

 そのためには下ごしらえが。厚揚げ、はんぺん、がんもなど油処理をしたものは湯をくぐらせて油抜きを行う。大根は下茹でが20分、水に流してアクを取っている。こんにゃくの下茹でももちろん。それらを済ませたものを始めて出汁と合わせるが、ここでも決して沸騰はさせない。低温で長時間かけてじっくり味を沁ませる。
 一通り味が沁みたところで火を止めて、一昼夜寝かせる。写真の段階で、味見はしたが、食べるのは翌日。
 偉そうに言ってるが、これは大阪法善寺近くにある著名なおでん屋に居たという板場の直伝。

     

 霜月最終日、名古屋の読書会に出る。岐阜はどんより曇っていたが、名古屋な晴天。
 とはいえ寒いので、できるだけ駅近くの会場への道を、連なる建物を辿って行く。
 そこで見かけたイルミネーション。

          

          
          
 
 読書会、読み進んだのは少しだったが、それに関連した(脱線した?)会話が楽しいし、意外な気づきを含んでいる。参加者の最年少は高校2年生で最年長は私だから、年齢差70歳。
 それだけでいささか刺激的!

 懇親会(二次会)は少人数だったが、それだけに発言機会は多く、話が弾む。
 帰途へ。昔流にいえば夜汽車なのだろうが、哀愁感はない。24時間、それぞれの時間が機能的に位置を与えられて、感傷が入り込む隙がない現代。

      
          これは中央線の列車 私が乗るのは東海道線下り

 帰宅したら、たまたま岐阜へきた息子が立ち寄って届けてくれた柚子が郵便受けいっぱいに溢れていた。

      

 さて、柚子三昧の料理をいろいろ考えるとするか。

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友人の水彩画展と緋色のマントの信長公、そしてキャベツ。

2024-11-29 01:51:24 | アート

 同人誌の同人で、友人でもある津田氏が所属する水彩画同好会のサークルが、JR岐阜駅近くの会場で作品展を開いているというので観に行った。
 同好のみなさんが、今度こそはと力作を出品している。この会の作品は、スケッチの上にサッと水彩をのせてゆく感じではなく、けっこう描き込むものがほとんどである。それは冒頭にある講師の作品からもうかがえる。

     
 

 さて、わが友、津田氏の作品であるが、最初に見た数年以上前のそれとは確実に腕前が上がっている。
 今回は4作品を出品しているが、展示順に言うと、「糸満への巡礼」、「ルーマニアのリリアナさん」、「Let’s Go! 」、「伊吹残照」となる。

     

         
         
      

 私には、絵画を鑑識する能力などなく、ここまで書けるだけですごいなあと思ってしまうのだが、好みだけでいうと、「ルーマニア」と「伊吹」だろうか。「伊吹」は雲の紫が面白かった。

 津田さんの作品以外では、伏見宣好という人の「水溜りがある風景」が面白かった。濡れた舗道と、そこへの映り込みがかなり巧みに表現されていると思ったからだ。

          
 

 いずれにしろ各位の活動には羨ましいものがある。実は私自身、70歳を過ぎたら好きな音楽を聴きながら、絵を描いて過ごしたいと思っていたからである。実際のところ、30代に会社勤めをやめて居酒屋を開くまでの半年ほどの間に、イーゼルをはじめ、油絵用の用具一式を揃え、それを今でも持っている。
 しかし、人の生はままならぬもので、70歳から十数年過ぎた今でも、それは果たせないままである。

      

 水彩展の会場から、JR岐阜駅へ向かう。北口広場の金の信長像が緋色のマントを羽織っているのが遠目にも確認できる。実はこの像、もともと黄金色のマントを羽織っているのだが、その上から更に緋色のマントである。
 思うに信長公、暑さはともかく、寒さには弱かったものと見ゆる。

      

 岐阜駅北広場にはもう夕間暮れといった感。写真右階段のイルミネーションが点灯すればきれいなのにと思ったがまだそんな時刻でもない。

      

 駅構内に食品スーパーがあり、大したことはないのだが野菜に関しては安い。覗いてみたら、キャベツが280円だったのでそれのみをゲット。

 いま、普通のスーパーでは、400円から500円。ここ二週間ほどキャベツは口にしていない。農協の朝市にも出ていない。280円でも安いときの倍ぐらいだが、このご時世我慢すべきか。
 なお、政府は物価上昇率を2.数%としているが、食品などを買っているとその上昇率はそんな低いものではない。物によっては倍以上なのだ。
 エンゲル係数50%超えのわが財政はピンチの極限。月8万円の年金を貯金の取り崩しで補っているが、さて、私の死期まで残高があるかどうか?
 解決案は簡単だ。できるだけ早く死ぬこと。とはいえ、生への執着はあるし・・・・。

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昭和→平成→令和 フィーバーしたあの岐阜の地域の現在

2024-11-24 23:30:26 | よしなしごと

 私は和風の元号を使わないようにしている。昭和ー平成ー令和というあれである。銀行や役場でこれを書かねばならないときには、あえて西暦で書いている。かつては、それではだめだといわれることもあり、いやいや迎合したこともあったが、最近は拒否されることが少なくなったような気がする。

 なぜそれらを忌避するかというと、それが担う恣意性、はっきりいってしまえば天皇の即位・退位との対応に好感が持てないのだ。
 西暦だってキリストの生誕に合わせた恣意的なものではないかといわれるかもしれない。それはたしかにそのとおりだが、遥かに2000年以上遡上する基準値であり、現実的な具体性からは距離感がある。
 こんなことを言い出すのは、とりわけ「昭和」という時代の血生臭さ、天皇制と引き換えに失った多くの生命に思いを馳せるからである。

 私の知り合いに、「皇紀」を用い、旧漢字や旧仮名遣いをする人がいるが、これは神話の神武天皇の即位を紀元とする数え方であり、やはり恣意的であるが、昭和ほど血生臭くはない。彼にいわせれば今年は紀元2684年である。ちなみのこの数え方だと私の生年は紀元2598年になる。

 ただし、私自身はこれを用いることはなく、やはり西暦を用いてる。なぜかというと、それ自身キリスト教世界の恣意的な数え方として広まった年号とはいえ、これだけ世界的に広まっている現在、日本での出来事と国際的なそれとの比較や関連を考える場合、やはり西暦の方が都合がいいからである。

 こんな硬い話をするつもりではなかった。なぜこんなことを書き始めたかというと、最近、平成と令和に関する面白い現場に立ち会ったからである。

 昭和から平成に転じたのは、1989年のことであった。この折、一躍脚光を浴び、全国に知られるようになった地域がわが岐阜県の関市にあった。
 その名は平成地区! そう、偶然、元号と一致したのである。ただし、この地区の読みは「へなり」であって「へいせい」ではなかったが漢字表記は全く同一だった。
 厳密に言うとこの名の集落の住民は、当時、わずか37名であったという。特産物はシイタケ、その原木栽培が行われていた。

 この地区は、県道58号線が走るのみで国道ではないのだが、岐阜市方面から下呂や飛騨地域に斜めに抜ける道としてけっこう交通量が多いところではある。
 世の中には好奇心旺盛な人が多く、元号と同じ地域とは?というので、休日など全国からの訪問者が増えてきたという。臨時の売店などが道端にできたようだが、それでは対応しきれないとして、市などの力入れで、「道の駅平成」が出来上がった。
 同時に、この地域一帯を日本平成村と名付け、女優の三田佳子さんを村長に迎えるなどした。

 平成が当たり前の日常になると前ほどのフィーバーはなくなったが、上に述べた交通流の多さなどから道の駅はまあまあだったようだ。私も、2,3度、利用したことがある。岐阜から飛騨地区へ向かう際、トイレ休憩にちょうどいい場所なのだ。私が立ち寄った際にも、けっこう賑わっていた。
 しかし、この道の駅を中心とした平成地区がもっとも賑わったのが2019年4月30日、平成最後の日であった。双方からやってくる車の列は10キロ以上の渋滞を産み出し、片側1車線の県道58号は完全に麻痺したという。

 さて先般、地域のサークルの人たちと付知峡谷へ紅葉狩りに行った帰途、ここに立ち寄ることとなった。実はこれ、平成が終わってから初めてなのであまりさびれた様子は見たくないなぁという気持ちもあった。しかし、駐車場の車両数を見てもかなりのものだし、降りてみた売店や飲食コーナーの様子もまあまあなようで、なんとなく安心を覚えた。フィーバー時代に比べて、多少それぞれの規模を縮小して適応してきたのかもしれない。

 写真のうち、上のものはメインの建物に「ありがとう!平成時代」の表示があり、それを指差す人もいて、けっこう好感を得ているというか、その遺産をちゃんと継承しているようだ。
 しかし、土地の人たちはたくましい。その証拠が下の写真。
 メインの建物のすぐ脇にあるみたらしやたこ焼き、五平餅を売る別棟には、鮮やかに「だんご屋 令和」と書かれてあった。

 訪れたのが夕刻とあって、このだんご屋、もう閉店だからと半額セールを行っていた。私たち一行の誰かがソフトたこ焼きを買い、みんなに振る舞ってくれた。名前の通り、口中でふうわりと舌に絡み、けっこう美味かった。ビールの相手にぴったしだなと思った。
 
 まあしかし、やはり私が令和という元号をを用いることはないだろう。実のところ、今年が令和何年かも怪しいのだ。
 え?それは元号が云々という問題ではなくてお前の認知機能の問題だろうって・・・・う~ん。

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ユーチューバーとの対談をギャラリーカフェ「水の音」で行う

2024-11-20 11:29:39 | アート
 過日、私より少し年下のユーチューバー、H氏から私が何年か前、ブログに書いた是枝監督の映画「万引き家族」に関する記事をもとに対話形式の映像を撮りたいとの申し出があった。映画は好きだけど、取り立ててそれについて論じるほどの知見も持ち合わせていないから尻込みをしていたが、その撮影場所が岐阜の古民家を根城にしたギャラリーカフェ「水の音」という場所だと聞き、その場所に興味をもって出かけた。

          
          

 H氏から振られた私の役どころは下記のブログ記事を自分で解説しながら話を進めるというものであった。
 https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20180720

 私はこの映画を是枝監督の映画に通底している「カゾクノカタチ」を問うものとして解釈し、大先輩、小津安二郎の同様の問いと重ねながら話を進めた。
 小津監督の場合は、戦後の家父長制崩壊時の価値観、その一環としての「カゾクノカタチ」を俎上に乗せている。それに対して、是枝監督は前世紀末から始まるネオ・リベ的規制緩和の中で崩壊してしまった既成の家族観を前提にしながら話を進める。
 具体的にいいうならば、終身雇用制、年功序列制が崩壊し不正規雇用が蔓延するようになった時代の家族、もっとわかりやすくいうならば、波平さんやマスオさんが外で働き、船さんやサザエさんが家を守るという家族の形態が終わったあとの「カゾクノカタチ」についてである。

           
      

 そんな話をしている間に撮影は終わり、夕方から予定があった私は帰途についた。
 で、興味をもった古民家のギャラリーカフェ「水の音」についてだが、ゆっくりと探索する時間もなく、対談の撮影前のちょっとした隙に影した写真のみをここに載せておこうと思う。
 なお、同店のHPのアドレスも以下に載せておく。

 https://www.gallery-mizunooto.com/

          
      

 同店は、岐阜の第一神社・伊奈波神社の近の築110年の古民家のカフェで、一階はカフェ、二階はギャラリーとして機能している。
 なかなか良さげなところで、ガールフレンドなどができればエスコートして来たいと思っている。
 
 
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