
所用で車を運転していて交差点で信号待ちをしていたら、フロントグラスのすぐ目の前で、つがいの青筋アゲハがもつれるようにしてじゃれ合いはじめました。まるで私に見せつけるようにほとんど同じ位置で飛びながら、恋の戯れを交わし続けているのです。
信号が変りました。私は一瞬、発進をためらいました。このままアクセルを踏んだら、彼らの愛の交歓に水を差すばかりか、その個体を傷つけてしまうのではないかと恐れたのです。
しかし相手は羽根をもつ身、廻りの車が動き出す気配を察知してかもつれ合ったまま上空へと昇って行きました。
この光景を見ながら、私はある歌を思い出していました。
それは1985年8月12日の日航機御巣鷹山事故で亡くなった坂本 九さんの『蝶々』という歌でした。詳しい歌詞はともかく、「上になったり下になったり、蝶々っていいな」というところだけ覚えています。
なぜ詳しい歌詞を覚えていないかというと、まさに私が覚えているその唯一の箇所が問題となり、理不尽にもそれを卑猥だとして突然、放送禁止にされてしまったからです。1968年のことでした。40年前の日本は、それほど野蛮な国だったのですね。
この日航機御巣鷹山事故については、やはり思い出があります。当時は深夜までの仕事でしたから、仕事を終えて名古屋から岐阜へ帰る車のなかで、この事故にまつわる放送をずーっと聞いていたのでした。それが8月12日だということを覚えているのは、その翌日から短い夏休みに入ることになっていたからです。
どこへ不時着したのかも分からない状態でしたが、私が家に着く頃、どうやら御巣鷹山あたりだということが判明したようでした。
「上になったり下になったり、蝶々っていいな」と楽しげな表情で歌っていた坂本 九さんが、その犠牲者のうちにいると知ったのはしばらくしてからでした。
所用を終えて帰宅し、植木などに水をやっていると、ふと肩先をかすめるものがあります。首をめぐらすとやはり青筋アゲハでした。もちろん、さっきじゃれ合っていたのが先回りして待っていたわけではありません。
そういえば、春先から、今年はよくアゲハや青筋アゲハを目にしました。目撃数は例年になく多いと思います。しかし、アゲハ類が急に増えたという話は聞きませんから、多分、私の目線の問題なのでしょう。
これもまた、母の逝った年の思い出でしょうか。