藤村実穂子は国際的なメゾソプラノの歌手である。
国際的といっても世界の檜舞台で歌ったことがあるとか、たまたま日本人であるために「蝶々夫人」に抜擢されたといったたぐいではない。
彼女の活動の本拠地は欧米であり、オーストリアのグラーツ(日本でいったら大阪か)歌劇場の専属歌手であったり、バイロイト音楽祭に主役級で9年連続で出演するなど、ヨーロッパ各地でのオペラ出演などその実績には枚挙のいとまもない。
だから、彼女はむしろ日本でよりも欧米でのほうが知名度が高い。
その彼女が、わざわざ岐阜くんだりまで、私に逢いに来てくれるというのだから、そのコンサートにゆかないわけにはゆかないだろう。会場は岐阜サラマンカホール。
メゾソプラノのソロコンサートは初めての経験。ソプラノはあるし、大勢の歌手の中にメゾがいたということはあったが、メゾのみははじめて。心躍らせて会場に入った。
そこで私は、ちょっとした衝撃を受けることとなる。
まずは入り口で、モギリのお姉さんが「プログラムが一部変更になります」と言いながら渡されたのはいかにも急ごしらえで作られたというモノクロで、ホチキスで綴じられたものだった。
その内容を当初予定されたものと比べてみる。「一部」なんてものではない。半分がごっそり替っているのだ。私にとって少しショックだったのは、前半2部のマーラーの「亡き子を偲ぶ歌」5曲がすっかり入れ替っていることだった。歌曲に疎い私でも、この曲は知っていて、今回楽しみにしていたのだった。
後半のマーラーの曲もすっかり入れ替えられていた。
ついで衝撃だったのは、「出演者の体調により、座唱とさせていただきます」の掲示だった。要するに座って歌うということで、これもこの種のコンサートでは初めての経験であった。
プログラムの変更といい、座唱といい、これらは歌い手の不調をストレートに示しているのではないかとの疑念が。身体が楽器の歌い手、身体の不調はその音楽の不調にほかならないのではないだろうか。
とんでもないコンサートに来てしまったなという感じより、よし、それならそれで、最後までその表現に付き合ってやろうじゃないかという気になった。
演奏が始まった。椅子というのはポピュラー歌手などがギターの弾き語りに使う少し高い椅子かなと思ったがそうではなかった。普通にべったり座る椅子で、このホールで演奏するオケのメンバーが坐るものだった。色からすると各パートのチーフが坐る椅子だ。
はっきりいって前半は、これが彼女の本来の歌なのか、それとも不調であることをカバーしているのもかはわかりかねていた。ようするに、まろやかな良い歌声であったにも関わらず、私の主観的な雑念が邪魔をして、彼女の表現を十全に受け取りそこねたのだった。
だから後半はそうした雑念は捨てて、彼女の表現をあるがままに受け止めようと心に決めた。そうすると、彼女の歌はとても伸びやかにまあるく聞こえ始めたのだ。事実、前半より良かったのではないかと思う。すくなくとも、表現の幅は広がったように思った。
特に後半2部の、マーラーの「少年の魔法の角笛」よりの5曲は様々な表現を聴くことができてとても良かった。
でも、正直言って、「出演者の体調云々」と最初にいわれてしまうと、なんだか心配が先に立ってやはり手放しでは楽しめなかった。
アンコールを催促するような拍手もやめたほうがいいのかもと思ったくらいであったが、それでも拍手をしていると、なんとアンコールは短いが2曲も歌ってくれた。だから、最後は心おきなく拍手をすることができた。
なお、ピアノ伴奏は歌曲伴奏のベテランにしてスペシャリスト、ヴォルフラム・リーガーで、思い入れたっぷりの演奏は視覚的にもそれとわかるものだった。とりわけ、曲の終わりのピアノタッチは繊細を極め、固唾を飲んで最後の一音が鳴るのを待ち、一瞬の間を置いた後、拍手が起こるという有り様だった。
暮れなぞむ街の灯を見ながらの帰途、まあ、こんなコンサートもかえって記憶に残るかなぁなどと思った次第。
国際的といっても世界の檜舞台で歌ったことがあるとか、たまたま日本人であるために「蝶々夫人」に抜擢されたといったたぐいではない。
彼女の活動の本拠地は欧米であり、オーストリアのグラーツ(日本でいったら大阪か)歌劇場の専属歌手であったり、バイロイト音楽祭に主役級で9年連続で出演するなど、ヨーロッパ各地でのオペラ出演などその実績には枚挙のいとまもない。
だから、彼女はむしろ日本でよりも欧米でのほうが知名度が高い。
その彼女が、わざわざ岐阜くんだりまで、私に逢いに来てくれるというのだから、そのコンサートにゆかないわけにはゆかないだろう。会場は岐阜サラマンカホール。
メゾソプラノのソロコンサートは初めての経験。ソプラノはあるし、大勢の歌手の中にメゾがいたということはあったが、メゾのみははじめて。心躍らせて会場に入った。
そこで私は、ちょっとした衝撃を受けることとなる。
まずは入り口で、モギリのお姉さんが「プログラムが一部変更になります」と言いながら渡されたのはいかにも急ごしらえで作られたというモノクロで、ホチキスで綴じられたものだった。
その内容を当初予定されたものと比べてみる。「一部」なんてものではない。半分がごっそり替っているのだ。私にとって少しショックだったのは、前半2部のマーラーの「亡き子を偲ぶ歌」5曲がすっかり入れ替っていることだった。歌曲に疎い私でも、この曲は知っていて、今回楽しみにしていたのだった。
後半のマーラーの曲もすっかり入れ替えられていた。
ついで衝撃だったのは、「出演者の体調により、座唱とさせていただきます」の掲示だった。要するに座って歌うということで、これもこの種のコンサートでは初めての経験であった。
プログラムの変更といい、座唱といい、これらは歌い手の不調をストレートに示しているのではないかとの疑念が。身体が楽器の歌い手、身体の不調はその音楽の不調にほかならないのではないだろうか。
とんでもないコンサートに来てしまったなという感じより、よし、それならそれで、最後までその表現に付き合ってやろうじゃないかという気になった。
演奏が始まった。椅子というのはポピュラー歌手などがギターの弾き語りに使う少し高い椅子かなと思ったがそうではなかった。普通にべったり座る椅子で、このホールで演奏するオケのメンバーが坐るものだった。色からすると各パートのチーフが坐る椅子だ。
はっきりいって前半は、これが彼女の本来の歌なのか、それとも不調であることをカバーしているのもかはわかりかねていた。ようするに、まろやかな良い歌声であったにも関わらず、私の主観的な雑念が邪魔をして、彼女の表現を十全に受け取りそこねたのだった。
だから後半はそうした雑念は捨てて、彼女の表現をあるがままに受け止めようと心に決めた。そうすると、彼女の歌はとても伸びやかにまあるく聞こえ始めたのだ。事実、前半より良かったのではないかと思う。すくなくとも、表現の幅は広がったように思った。
特に後半2部の、マーラーの「少年の魔法の角笛」よりの5曲は様々な表現を聴くことができてとても良かった。
でも、正直言って、「出演者の体調云々」と最初にいわれてしまうと、なんだか心配が先に立ってやはり手放しでは楽しめなかった。
アンコールを催促するような拍手もやめたほうがいいのかもと思ったくらいであったが、それでも拍手をしていると、なんとアンコールは短いが2曲も歌ってくれた。だから、最後は心おきなく拍手をすることができた。
なお、ピアノ伴奏は歌曲伴奏のベテランにしてスペシャリスト、ヴォルフラム・リーガーで、思い入れたっぷりの演奏は視覚的にもそれとわかるものだった。とりわけ、曲の終わりのピアノタッチは繊細を極め、固唾を飲んで最後の一音が鳴るのを待ち、一瞬の間を置いた後、拍手が起こるという有り様だった。
暮れなぞむ街の灯を見ながらの帰途、まあ、こんなコンサートもかえって記憶に残るかなぁなどと思った次第。