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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

東大寺荘園の1200年の耕地が終わるとき

2022-08-21 02:52:46 | 写真とおしゃべり
 私の住む岐阜市の茜部は、その地名を東大寺の荘園、茜部荘に由来するといわれる。歴史に残る年代としては818年の記録があるから1200年の歴史があることになる。
 茜部は、服部が衣服の生産に発するように、当時、高貴な染料とされた茜色のための茜草を生産していたといわれる。
 その後、茜草の生産は終わったようだが、水にも恵まれた耕作地として、米作へと変わったと思われる。いずれにしてもこの地は、記録に残る限り1200年の耕作地であった。

 おおよそ五十数年前、私がこの地へ移住した折、周囲、100メートル四方に建造物はなく、田んぼの中の一軒家であった。しかしその後、高度成長があり、それが頓挫した後も、名古屋へも通勤可能として市街化が進み、ついには、わが家を取り巻く田はすべて消滅するところとなった。

 これはそのうち、とくに私がウオッチングしてきた田で、この終焉には特別な思いがある。重ねていうなら、1200年前、茜草の栽培から始まった農地が、完全に失われたということである。もうこの地で、茜草はおろか、米が作られていたことすら忘れられてしまうだろう。

 ここに載せた写真は、10年前を起点にし、私がウオッチングしてきたものである。もっと多数の写真があるのだが、一定数にとどめた。この田の変遷をご覧いただき、急逝によりその耕作を中断せざるを得なかったあの農夫に心からの弔意を表したい。

         
              2012・5・30 田植え

         
             2013・10・7 稲刈り 1

           
             2013・10・7 稲刈り 2

         
      2014・4・5 まだ蓮華が咲く田の向こうを行く子供みこし

         
             2014・10・20 台風後に倒壊

         
             これは倒壊ではなく風に波打つ稲

       
             耕作者の急逝後次第に荒廃が
       
            稲の穂が混じるのが哀しい
       
           
             大きなゴミを捨てる不埒者が

      
         三年ぶり、買い手がついてコンビニの建設が

      
      
      
     ー
      
     

 もはやここに、茜の荘園以来、1200年の耕地があったことを思いやる人はいないだろう。

 

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