きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

父の語りにつきあう

2006-04-22 | 父の記録と母の思い出
昨日は妹に用事があったのだが・・・実家でまた父の語りを聞かされる。
↑本来なら父と話をしたと言う文章になるはずだが、今の実情はこの表現の方が近い。

たしかこのブログが始まった頃は、「昔話を繰り返すボケ老人」と書いていた。当時はまだ父が認知症と言う認識がなかったので、冗談半分でそんな表現ができた。

当時は「昔話」を繰り返していたが、今はともあれ話がグルグルグルグル回り3分で元の地点に戻る。3分で話が元の地点に戻ると言うことは、ほぼ同じ話をずっと聞かされている状態である。
それから、「なんでこんなに苦痛なんだろう?」と考察してみると、父との会話は父が一方的に思うことをズラズラ言いまくるので、「ハァ」とか「ウン・・」とか「フゥ・・」とかの相槌を挟むので精一杯なのだ。どうにか自分の興味ある方向に話題を切り返したいと狙うが、そのタイミングさえ失う。
この状態はもしかしたら、お経をずっと目の前で読まされているような感じかもしれない。電話のセールスも一方的にベラベラ話し出すが、こちらが全く何も言わずにいると、一瞬戸惑い「あの?聞こえてます?」なんて言ってくるものだ。そうすると、今度は「あ、うちは要りません。」と言って切る事ができる。
父との会話は、それができない。こちらが何も言わずにいても父は延々と話出してくるし、それが楽しそうだったりすると、こちらもそのまま話を変えることもできず、ハァとかフーとかを延々と繰り返すのみとなるのである。

こう書くと親不孝者丸出しだが、妹にこう言うと、「そうでしょ~」と返事が返ってくる。「30分も話を聞くのがしんどい」と正直に言うと、「わかるわかる、診察につきあってると本当にそうなのよ。」と返事が来る。

私も妹も父が好きなのだ。
尊敬する父。フツウなら添い遂げる事が極めて困難だと思われる母と生涯添い遂げた父。そして、仕事もバリバリ稼いで、私達は物で不自由した事はなかった。(時代もバブルで良かったのだが)
今こうなのは認知症という病気のため。父が悪いことは何も無い。そんな父だから、最後まで幸せでいてほしい。

・・・・と思っている事も事実なのだが、やはり父の語りを聞かされるのはやっぱりツライのであった。

「父に付き合う事をツライと思ってしまうのはいけない」と私も(たぶん妹も)思っていた時期もあるように思う。でも、やっぱりツライものはツライと認めてしまおう。
でも、私も妹も父が好きなのには変わりがないし、妹はそれが良かれと考えて、とりあえずまだ他の誰の手も借りずに父の薬も診察も食事も面倒をみている。もっともっとと自分を追い込めばどこまでも追い込んでしまうのが、介護の世界なのかもしれない。だから、どこかで線引きをしないとこっちが参ってしまうのではないかな?

一番の問題は父がたそがれ時になると、フラッと飲みに出てしまうことだった。
病院でも酒を止められているので、妹もさんざ注意したのだが、条件反射で夕方になるとやはり目を盗んで出て行ってしまう。
あの「夜ひとりで飲みにいかない」の誓いも今ではどこへやらで、毎日妹を心配させている。

・・てな訳でそろそろ、たそがれ時、父の様子を覗きに行ってきましょうかね。。。