捨てる用書類の中に、kekeの作文が混じっていた。
そこには【挫折と言うものはない】と書かれていた。
野球を途中で辞めてしまったのは【あきらめた】のであって、挫折ではない。
人は挫折という言葉を使って、努力する事から逃げようとしているのではないか。
例え挫折をして、その事から逃げたとしても、そこから新しい出会いがあり、何かを得られるとしたら、それは挫折とは言わないのではないだろうか。
そんな内容が書いてあったのだが、添削した先生から「挫折という言葉の意味が正しく理解されていません」と書かれていた。
そうねぇ。。。
それが【絶望】と言う言葉だったら、もう少しやんわり意味が伝わったのかもしれないけども。
まぁ、いろいろと考える事はいいことだ。
それが正しくても間違っていてても、考える事でまた一歩前に進む。
正解だけでない意味がある。
最近の世の中の風潮の一つに、「これは悪い」と何かを決め付けたがる傾向があるような気がする。
気持は分かる。私も決め付けて掛かりたい方だから。
もちろん、本当にこれは絶対におかしいということはたくさんある。
目をそむけたくなるような事件、政治的なこと。エライお方の心無い発言や行動。
ごく身近では、昨日私がまたどしゃ降りの中、自転車をこいていたら、通りすがりに顔を蹴ろうとした自転車に乗った中学生グループ。
その一方で、「これは悪い」と決めつけて安心したい世間様もいるような気がする。誰かを攻撃することで自分の心の平和をはかる世間様だ。
例えば、一部の芸能ニュースなど。
離婚報道の隠れた裏に「ほれみろ」と世間様に言わせたがっている報道もあるってことだ。
私はその書かれていないくっきり浮かび上がる文字に、ある種の嫌悪感を感じるようになった。
判決したがるお殿様とそれを煽るような報道。
一斉に指をさして何をしたいわけ?
気持は分かるけど、他人のプライベートはそろそろどうでもいいのではないか。
逆に決め付けようとする私達に、心のキズや欲求不満が見え隠れする。それを見て見ぬ振りして他人判決だけでは哀しい。
そんな事も考える事で、また一歩進む。
生きていくということはその繰り返し。
しかし、通りすがりの自転車に乗ったオバさんを蹴ろうとする少年達。
当たって自転車から転げ落ちて、脳天でも打ったらどうするつもりだったのだろう。コイツらは笑って逃げておしまいだったのだろうか。
雨合羽を羽織ってどしゃ降りを走っている私がよっぽど弱者に見えたのだろうか。
「いまどきの子供達は」と言われて、「昔よりずっと優しい子供達が多いですよ」と言いたい私だが、これには唖然とした。
これは生まれもった性質なのか、親の育て方なのか、一体何なのだろう。
親の顔がみたい、とはまさしくこの事だ、と思う。
そこには【挫折と言うものはない】と書かれていた。
野球を途中で辞めてしまったのは【あきらめた】のであって、挫折ではない。
人は挫折という言葉を使って、努力する事から逃げようとしているのではないか。
例え挫折をして、その事から逃げたとしても、そこから新しい出会いがあり、何かを得られるとしたら、それは挫折とは言わないのではないだろうか。
そんな内容が書いてあったのだが、添削した先生から「挫折という言葉の意味が正しく理解されていません」と書かれていた。
そうねぇ。。。
それが【絶望】と言う言葉だったら、もう少しやんわり意味が伝わったのかもしれないけども。
まぁ、いろいろと考える事はいいことだ。
それが正しくても間違っていてても、考える事でまた一歩前に進む。
正解だけでない意味がある。
最近の世の中の風潮の一つに、「これは悪い」と何かを決め付けたがる傾向があるような気がする。
気持は分かる。私も決め付けて掛かりたい方だから。
もちろん、本当にこれは絶対におかしいということはたくさんある。
目をそむけたくなるような事件、政治的なこと。エライお方の心無い発言や行動。
ごく身近では、昨日私がまたどしゃ降りの中、自転車をこいていたら、通りすがりに顔を蹴ろうとした自転車に乗った中学生グループ。
その一方で、「これは悪い」と決めつけて安心したい世間様もいるような気がする。誰かを攻撃することで自分の心の平和をはかる世間様だ。
例えば、一部の芸能ニュースなど。
離婚報道の隠れた裏に「ほれみろ」と世間様に言わせたがっている報道もあるってことだ。
私はその書かれていないくっきり浮かび上がる文字に、ある種の嫌悪感を感じるようになった。
判決したがるお殿様とそれを煽るような報道。
一斉に指をさして何をしたいわけ?
気持は分かるけど、他人のプライベートはそろそろどうでもいいのではないか。
逆に決め付けようとする私達に、心のキズや欲求不満が見え隠れする。それを見て見ぬ振りして他人判決だけでは哀しい。
そんな事も考える事で、また一歩進む。
生きていくということはその繰り返し。
しかし、通りすがりの自転車に乗ったオバさんを蹴ろうとする少年達。
当たって自転車から転げ落ちて、脳天でも打ったらどうするつもりだったのだろう。コイツらは笑って逃げておしまいだったのだろうか。
雨合羽を羽織ってどしゃ降りを走っている私がよっぽど弱者に見えたのだろうか。
「いまどきの子供達は」と言われて、「昔よりずっと優しい子供達が多いですよ」と言いたい私だが、これには唖然とした。
これは生まれもった性質なのか、親の育て方なのか、一体何なのだろう。
親の顔がみたい、とはまさしくこの事だ、と思う。