きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

エルチキ2枚

2009-06-15 | 息子keke
今日もkekeは朝起きるのが大変だった。

夜中の1時半にジュースを飲みに来たのを知っている。
私は一度寝た後のこと。
 
「こんなに課題とレポートばかりでもうイヤだ」と愚痴る。
「いまさら泣き言言うな」と言うと、出かけ間際にポイポイと私のサンダルを投げて去って行った。


・・・ふぅ。


仕事から帰ってきた後に、妹の所に行った。
明日は自分でお弁当を詰める日だとかで、ミーちゃんはハンバーグを作っている。
パパが買ってきた雑誌だ、と見せてくれた。
この前コンサートに行ったバンドの特集が組まれている。
 
部活で使っている楽器の調子が悪いから、週末に楽器屋さんに行くかもしれない。
「誰と?」と妹が訊くと、何々先輩と、と言う。
それで話が通じている。
「この前PTAで聞いたんだけど、前の顧問のセンセイ厳しかったんだって?」と妹が姪と話す。
 
  母と娘かぁ・・・・。

しばらくそこにたたずんでいた私は「もう帰るね」と言った。


娘と息子は違うんだろうなぁ。。。。

 
妹は旦那も居て、娘達もなついていて、PTAのお友達もたくさんいて
住む世界の違う人なんだ。。。。
言いたいことはあっても、上手くわかってはもらえない。

♪私はぁどぉこにも~席がない~♪と言う中島みゆきのある歌のワンフレーズが頭をよぎった。


家に帰るとkekeが出かけるところだった。
「どこに行くの?」
「お腹すいたから何か買う。」
「やきそば作ればあるよ。それからマックでも食べる?」
「エルチキが食べたい。」
「それからおにぎりでもあればいいか。」
「うん、あとジュース。」

kekeの顔はくたびれ果てていた。
すぐにでも寝たいと言う顔である。
急いで焼きそばを作ることにした。
先に風呂に入ると言うので、それからコンビニでおにぎりとパンとアロエジュースとエルチキを買った。
エルチキは2枚買ってみた。

TVはまたどこかの夫婦のノロケクイズみたいな番組だった。
私のひがみかもしれないが、やたら婚活だの、おちゃらけ夫婦のノロケ的な番組が多い。最近マスコミを信じていないので、それさえ流行仕掛け人がいるのかしら、とわざとらしく思ったりしている。
と思ったら、番組はクイズ番組に変わった。

私はレトルトカレーとエルチキだ。
エルチキまで食べるとカロリー取り過ぎのような気がしたが、kekeと二人だから買ってみたかった。
1人で暮らすようになったら、もう買わないかもしれない。

もうTVも観ないで済んでしまうかもしれない。

クイズ番組の答えを、端から言ってみる。
こんな母は、うざいかな。
 

私だってkekeの頃は親がうざかったのよ。
そうね、離れて暮らすようになってから、会いたくなったんだ。

いつかkekeもそんな日が来るかしら。
でも、何となく照れくさいから、ずっと今のままでいいよ。

うんと慕われるよりも、思い出されるよりも、忘れて強く生きてほしい。
向くのは後ろじゃなくて、いつも前ね。

それが私の本当の気持。

ブルーバード

2009-06-15 | 母子家庭だから思うこと
「今までやりたいことをやって来たよ。」と父は言う。
この会話は毎週1回ぐらいあるように思う。
 
糖尿病も私が物心ついてから30年ぐらいは続いている。
でも、父は酒も止めなかったし、フライも食べ続けた。
「数値は入院すればすぐに戻る。」と言うのが口癖だった。
「あとはキャベツの千切りをよく食べてるんですよ。」が母の口癖だった。
 
本当によく遊んでいた。
酒、パチンコ、カラオケ、競馬、旅行・・・・。
私の受験をしてようが、全くお構いナシに遊んでた。
しかも一緒に誘ってたよなぁ・・・。
 
初めての海外旅行だけ、取り止めたことがあった。
私が離婚の最中だった。
遠慮したんだよ、と妹から聞かされた。
まさかそんな事するとは思わなかった。
 
まぁ落ち着いたらまた行けばいいと二人も私も思っていたが
父の姉が認知症になったり、父のがんが見つかったりして母も亡くなってしまった。
あれだけが悔やまれる。
 
でも、あれだけ両親が好きに生きていてくれると、私もそうしようと思う。
長く健康であるのに越したことはないが、好きな事ができるうちが寿命だと思っている。
 
私の運転に関しては「危ないから止めなさい。」が正論だと、自分でも思う。
でも、練習すれば上手くなるかもしれないし、この後で役に立つかもしれない。
それは、やってみないことには始まらない。
 
他のことでもそう。
やってみないことには始まらない。
 
kekeが小さかったら、本当に危ないから運転はしなかったと思う。
でも、これからは自分のために好きなように生きていくんだ。(^o^)丿
まずは、そのとっかかりだよ。

あと15年は好きなことを思いっきりやるんだ。

羽ばたこう。

番茶の出ばな

2009-06-15 | 父の記録と母の思い出
環八の後で父の面会に行った。
「久しぶりだな、珍しいな。」と父は言った。
でも、喜んでいた。

またいつものようにkekeは何歳だと言うので、18歳だ、と言うと「番茶の出ばなだな。」と言う。
今日はこの会話を何回繰り返しただろう。
「番茶の出ばなじゃなくて本番は何歳ぐらいなの?」と訊くと「まぁ、そのうちだよ。」と言う。

それから「kekeは将来何になりたいんだ?」と言うので、これもコンピューター関係の仕事らしいよ、と言ってみたり、「サラリーマンかなぁ」と言ってみたり、バリエーションを加えながら適当に真面目に答えている。kekeの年齢とこの会話は1時間の中で10回ぐらいは繰り返していると思う。
「でも、一番なりたいのはニートだよ。」と言うと、「ニートってなんだ?」と言うので、「仕事をしないで家でブラブラしている人だよ。」(父にはその説明が一番適当だと思われるだけで、ニートの人を軽蔑しているわけではない。)と答えると、「なんだぁ、それは。おもしろい奴だなぁ。」アハハハと父にうけた。
 
父が喜んでいるので、このニートの会話も先週から取り入れている。

するとあるおじいさんが入ってきた。たぶんこの人も面会だろう。誰の親族かと思ったら、あるおばあさんの隣に座った。
そのおばあさんは結構介護士さん泣かせの人で、朝ご飯を食べない。頑なに口を閉じている。無理に食べさせようとすると怒る。そしていつもしかめっ面をしている。これは家族とてやってられないだろうなぁ・・といつも思っていた。
そして、隣にすわったおじいさんは、息子と言うよりご主人だろう。
何とも優しい目でおばあさんを見つめている。義理ではこういう表情にはなるまい。手を取り合える距離ぐらい近くに座っている。
 
こういうご主人も世の中にはいるのだなぁ・・・・。
 
そして、そんなご主人でも、一緒に暮らして介護するのは困難なのだなぁ・・・。
 

いろいろ思いながら、「じゃ、また来週来るね。」と父に言った。
「おぉ。」と言いながら、私が離れようとすると「今どこに住んでるんだ?!」と言った。
 
「いつか行くよ」
まだそう思っているのだろうか。


でも、また来週来るからね。