きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

きっといいこと

2011-04-26 | 息子keke
最近変わった事は、kekeが朝ちゃんと起きる事である。

今までは休みの日とそうでない日が明確だったから、休みの日はいつ起きようが放置していたし、そうでない日は学校に行くために起こしていた。
それで喧嘩も毎朝よくした。

でもそれは本当に必要だった事なのか?と今になると思う。

朝起こされて体は学校に向かっても、心は向かっていなかった。
それが現実に目の前に形となって現れたのである。

そして皮肉にも学校に行かずに済むようになってから、kekeは声を掛けると朝起きてくる。

「いったいこの先どうするのか?」「バイトは探しているのか?」
夜明けに目覚めると、そんな思いがあちこちから浮かび上がるが、一度そのままkekeの部屋に向かって目茶目茶になった事がある。
不安もこれからは(今までもそうでなければいけなかったのだが)1人でこらえるしかない。

出掛際、「家にこもってばかりいるんじゃないよ」と、また今日も余計なひと言を口にする。
「分かってるよ、もう」とkekeは言う。

本当は分かっていると思っても、また予防線を貼ってしまう。
それはkekeの問題ではなく、自分自身の問題だと思う。


ここでたびたび、私は過去に遡る事が多い。
あの曲がり角を逆に曲がれば良かったのか、と意味の無い事を考えている。

もう自分の事はどうでもよい、kekeの人生だけは失敗は許されなかった。。。
でも、それでもしくじってしまったのだ。

今となっては大学なんてどこでも良かったし、むしろ行かなくても良かった。
そして、私は自分の人生にお金をつぎ込んでくれた方が、kekeはうれしかった、と言う。

間違いだった。
私はkekeが幸せになるように、大学に進学できるように全てを掛けて来たけれど、それが大きな間違いだったと思う。
私の人生を、子供の将来とオーバーラップしている所が間違っていたのである。疑いもしなかった点は奢りだ。

けれども、こう言う過ちは、母親なら(ましてひとり親なら)ありがちな事にも思う。
隣に同じ状況のお母さんが居ても私は批判できない。
他に心の拠り所が無いからである。
支えあえる存在がある人には分かるまい。

今となっては無駄になった金より、過去5年のkekeの時間を申し訳なく思う。

しかし、嘆いてばかりいても何も変わらない。
やり直そうとしているkekeを、せめてこれから応援していこう。

何もできない所がもどかしいが。