昨日の「金スマ」では、やしきたかじんさんを看病し最期を見届ける女性の話を放映していた。(これを取材した百田尚樹さんの『殉愛』という本を元に話を進めている。)
見たのは途中からであったがこれも最後まで見てしまった。
この女性(さくらさん)は、病気のたかじんさんを看病する。その間このたかじんさんが別の(昔の知り合い)人と浮気をしたりする場面があり、別れようと思うこともありながらも、「自分がいなければ」と強い意思を持って看病し続けるのだ。それはたかじんさんの容態が悪くなるにつれて、24時間つきっきりとなり、途中左耳が聞こえなくなってしまう。(看病を続け、自分の耳の治療をすることができなかった。)
たかじんさんは、そこまで看病してくれたこの女性(さくらさん)への感謝(この表現で良いか悩むが)を忘れず、これまでの女性関係をチャラ=無かったことにしたいほど「もうほかに何もいらん!さくらだけいてくれればえぇ」と思うようになるのである。(物的証拠として、たかじんさん毎日のように書かれた直筆メモが写される。)
そして亡くなる3ヶ月前に入籍、緩和病棟の中に結婚式の祭壇があり(このシチュエーションにちょっとビックリ)、そこで二人きりで永遠の愛を誓う。ある日うたた寝をしていたさくらさんが病室(たかじんさんの隣)で目を覚ますと結婚指輪が2つ用意されていた。もう指輪を入れる力の無いたかじんの指を添えながら、さくらさんは結婚指輪をはめるのである。
そして年が明け、たかじんさんの最後の言葉「アイラブユー」を耳にして二日後にお別れとなる。
また不覚にも涙を流してしまった。
人生の最期にこんな風に一番好きな人に看護されてあの世に行ったたかじんさん、それを見送ったさくらさん、二人に拍手したいという気持でいっぱい。
私もこんな風に人生の最後に、本当の運命の人に出会えたら・・・・・。
・・・・と思いながらも、こんな美しい恋愛が本当にあるの???
(そう思う自分もいる)
特に父の最期の頃=食べるだけやがては息するだけで精一杯、と言う時期をずっと見ていたせいもあるだろう。
私はどんなに愛する人でも24時間病院に寝泊りして毎日介護はできないと思う。放っておくと自分の耳が悪くなるかもと言われたら治療にも行ってしまうだろう。私は薄情な人間なので、父の時も「その後でも生き続ける自分」を念頭においていたし、だからこそ「今できることはやっておこう」とまで思っていた気がする。
だからここまで介護できる人もいるんだなぁ、と言うのにも驚いたし、死ぬ間際までこの女性の1人のことばかり思う男性(女性なら分かるが)、にも「へぇー」と思いながら見ていた。男の人がこんなに愛情表現するのにも驚いた。
ユーミンの歌で「男はいつも最初の恋人になりたがり、女は誰も最後の愛人でいたいの」みたいな歌詞があって、それを聴いた高校生の自分は「女だって昔彼女がいた男より最初の恋人になりたいやい!」といつも思っていたが、最近「そうかもな」ってそのフレーズを時々思い出す。
50年近く生きて、男女がらみで「本当に幸せな恋愛だった」と思える別れがない。
だから私は心の底では、誰も信じない。
そういうのは「死別」でなければ成立しないのではないか、と今の私は思っている。
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昨日は冷蔵庫の玉ねぎと肉でカレーにした。デミグラカレーである。翌日はカレーうどんにする。
見たのは途中からであったがこれも最後まで見てしまった。
この女性(さくらさん)は、病気のたかじんさんを看病する。その間このたかじんさんが別の(昔の知り合い)人と浮気をしたりする場面があり、別れようと思うこともありながらも、「自分がいなければ」と強い意思を持って看病し続けるのだ。それはたかじんさんの容態が悪くなるにつれて、24時間つきっきりとなり、途中左耳が聞こえなくなってしまう。(看病を続け、自分の耳の治療をすることができなかった。)
たかじんさんは、そこまで看病してくれたこの女性(さくらさん)への感謝(この表現で良いか悩むが)を忘れず、これまでの女性関係をチャラ=無かったことにしたいほど「もうほかに何もいらん!さくらだけいてくれればえぇ」と思うようになるのである。(物的証拠として、たかじんさん毎日のように書かれた直筆メモが写される。)
そして亡くなる3ヶ月前に入籍、緩和病棟の中に結婚式の祭壇があり(このシチュエーションにちょっとビックリ)、そこで二人きりで永遠の愛を誓う。ある日うたた寝をしていたさくらさんが病室(たかじんさんの隣)で目を覚ますと結婚指輪が2つ用意されていた。もう指輪を入れる力の無いたかじんの指を添えながら、さくらさんは結婚指輪をはめるのである。
そして年が明け、たかじんさんの最後の言葉「アイラブユー」を耳にして二日後にお別れとなる。
また不覚にも涙を流してしまった。
人生の最期にこんな風に一番好きな人に看護されてあの世に行ったたかじんさん、それを見送ったさくらさん、二人に拍手したいという気持でいっぱい。
私もこんな風に人生の最後に、本当の運命の人に出会えたら・・・・・。
・・・・と思いながらも、こんな美しい恋愛が本当にあるの???
(そう思う自分もいる)
特に父の最期の頃=食べるだけやがては息するだけで精一杯、と言う時期をずっと見ていたせいもあるだろう。
私はどんなに愛する人でも24時間病院に寝泊りして毎日介護はできないと思う。放っておくと自分の耳が悪くなるかもと言われたら治療にも行ってしまうだろう。私は薄情な人間なので、父の時も「その後でも生き続ける自分」を念頭においていたし、だからこそ「今できることはやっておこう」とまで思っていた気がする。
だからここまで介護できる人もいるんだなぁ、と言うのにも驚いたし、死ぬ間際までこの女性の1人のことばかり思う男性(女性なら分かるが)、にも「へぇー」と思いながら見ていた。男の人がこんなに愛情表現するのにも驚いた。
ユーミンの歌で「男はいつも最初の恋人になりたがり、女は誰も最後の愛人でいたいの」みたいな歌詞があって、それを聴いた高校生の自分は「女だって昔彼女がいた男より最初の恋人になりたいやい!」といつも思っていたが、最近「そうかもな」ってそのフレーズを時々思い出す。
50年近く生きて、男女がらみで「本当に幸せな恋愛だった」と思える別れがない。
だから私は心の底では、誰も信じない。
そういうのは「死別」でなければ成立しないのではないか、と今の私は思っている。
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昨日は冷蔵庫の玉ねぎと肉でカレーにした。デミグラカレーである。翌日はカレーうどんにする。