最近、車の中で何度も聴いているのが中森明菜「La Vida」という曲である。
前にも
ちらっと書いたが、紅白で明菜が歌った「Rojo -Tierra-」の曲のカップリング(昔でいうB面)の曲なのだ。
いい曲と言えるかどうかも分からない。
ただ、やたら惹かれるのである。
私の中では「明菜っぽい!」とうなってしまう曲で、あえて言えば「ジプシークイーン」「SAND BEIGE」系、もっとしっとりしてて、はかなくて淋しくて、でもどこか強さがある曲。
演奏はギター?マンドリン?みたいな弦楽器にカルメン調のタップ(手拍子だかタップだか)がトントントン、と軽快に入るだけ。
「傷つかずひと目につかない生き方だったら、どんなに楽でしょう。でもありのままに自分らしく、命が尽きるまで踊りましょう」という歌なのである。
歌詞も検索で見れるようになったので
「La Vida」中森明菜の歌詞←関心のあるかたはここからどうぞ。
明菜は若い頃の張りのあるビブラードのきいた声を期待する人が多い。私のどちらかと言うとそうなのだが、昔から何十年ものファンの方は、今のボソボソっとした低い低音(元気が無いように聴こえる)を評価しているようである。
もっとも全盛期(失礼ながらわかりやすく)もアルバムやB面の選曲ではそう言う歌い方も試していて、アルバム「CRIMSON」は、ほぼ全曲そのようなボソボソスタイルの歌い方。明菜ファンがだんだんコアになっていった要因にもつながるように思う。
アルバム「CRIMSON」は竹内まりや、小林明子が半分半分曲を作り、当時の(バブル期の)女性目線の曲で、雰囲気はニューヨークの冬(だと思う)。それをあのボソボソっとした声でさりげなく、ささやくように歌う。(実は最後の曲だけは張りのあるいつもの声を聴かせてくれるのだが)
コアなファンでないとついていけない独特の雰囲気のアルバムであった。
竹内まりやがあの歌い方に不可解を覚え、自分でシングルを出してしまったのが『駅』。・・・(と言うあの名曲という噂もあることは
前に書いた。)それでも人気が衰えないところに明菜の強みがあった。
ちょっとやそっと売れるだけの歌手ではあんな賭けはできない。
1枚のアルバムの人気がなければ、次は売れなくなる。
明菜だから、ああいうオタクみたいなアルバムを何枚も出して(その前のアルバム「不思議」も摩訶不思議な雰囲気のものだった)自己を表現できたのである。
そう言う背景を踏まえて耳を傾けると聴かせてくれる、特に高音の盛り上げ方がきれいで「進化した今の明菜の曲だなぁ~」と改めて思う。
初めて聴く曲なのに、やたら懐かしい味がある。
50を前にした私と明菜ちゃんの思いがピッタリ重なった・・そんな風に勝手に思う。
「50にして天命を知る」
そういうことわざがあるが、50を前にしてもう何をあがいても仕方ない。
最近世に言われる「いい歌」というのは、必ずといっていいほど、ペアリングなのである。
思い思われ、夫婦でとか、共に歩み、みたいな。
そんな言葉が散りばめられている
自分がそうじゃないから違和感を持つだけなのかもしれないが、それだけが全てではないと言いたい。
そういうのもあっていいけど、個があるから連帯がある、・・と思いたい。
一人で生きることをを知って、さらにつながりが、絆というもののの大切さが分かれば最高だが、私の人生はそこまで長くもないだろうし、そこまで変わることもないだろう。そんなに人は長くは生きられない。
でも、1人で生きることのいろんなこと、酸いも甘いも充分に味わえたなら、それでいい。その分与えられた自由をもって、いっぱい笑っていっぱい泣いて悩んで喜びを感じて生きて行こう。
もうよけいなことは望むまい。
この人生を全うすればいい。
独り身の生き方にこだわればこだわるほど、世間の目は冷たい。
でも、これからはそういう人達の言葉にも優しく返せる自分でいよう、できるなら。
この歌を口ずさめば、そんな風にも思える。
ちなみに「La Vida」とはスペイン語で「人生」と言う意味らしい。
まだ動画(歌の音声)がネットで見れないのが残念だ。