きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

物欲

2018-05-10 | 日記
今日はカラオケに行き損なってしまった。
夕食の準備に手間どって遅くなってしまった。だからもう止めて、お風呂に入ることにした。(^_^;)

年を取ったなぁと思うのは、忙しすぎると心がついていけなくなること。
あれもこれもなかなか捨てられない私だが、使わないものは思い切って捨ててスッキリした方が精神衛生上リラックスできるような気がする。

時間も同じで、あれもこれもしたいことはあるけれど、あえてその中からやれることを少な目に選ぶことにした。
あれもこれもしようとすると、結局「あれもできなかった」「これもできなかった」となる。休日はあれもこれもしようとせず、最初の予定の半分程度ができればいいと思うことにした。余計な事はしなくてもいいからこそ、休日なのだ。

その人の性格もあるのだが、私は少ないことをこじんまりとやって行く方が性に合っている。

そして今日も料理するそばから、使わない食器を洗っていたら、そばを食べ終わったkekeが自分の食べた器を洗剤をつけずに洗っていた。
(やれと言った訳でもないのに)

やっぱり(う~ん・・・)って感じで、洗った後の皿の臭いをかいだりしていたが。。。。



昨日は話が途中で変わってしまったが、1年前に買った曲げわっぱ弁当箱。
あんなに何年も欲しかったのに、いざ手に入ったら、(別にこれでなくても)という気持になってしまった。

人ってこうして、手に入ってしまうとその有難味を忘れてしまうものなのだろうか、と考えてしまったし反省した。

振り返ると今までそういう間違いを何度か犯してきた。
離婚はその最たるものだったし、子育ても「面倒くさいなぁ」と思いながらやっていたように思う。
私は結婚相手に対しても、息子に対しても、手に入ってしまったら「別にこれでなくても」みたいな気持になっていたように思うのだ。

そう言う気持に気づくたびに「これではいかんな」と思う。
周りでも高価なものを次々買っている人がいるが、よぉく見ていると手に入ってうれしいのは最初のうちだけで、また違うものが欲しくなるのの繰り返しのようである。
最終的に物欲とは、どこに行き着くのだろうかと思うことがある。

そう言うのを反面教師にして、手に入った喜びを、できればいつまでも胸に秘めていたいと思う。
息子一人だけれど、まだ家族と暮らせる今をありがたいと思う事にしたい。