また今日も井上陽水さんのアルバムの続きを聴く。
何か聴いたことがある曲だなぁ~と思うと「夏色のハーモニー」。これ、男同士のデュエットで会社の飲み会とかでよく聴かされたような気がする。男同士のデュエットという新しい分野を開いた曲かもしれないなァ。。。
窓の外では葉桜の最後の花びらが屋根に落ちてグルグル回っている。
(昭和も遠くになりにけり、だな)と私は思う。
しかしこの後、私をカルチャーショックにさせる曲がかかる。
タイトルは「傘がない」という歌である。
この歌の主人公の陽水さん(仮)は、テレビを見ながら「最近の若者の自殺の増加は深刻だなぁ」と思っている。が、そんなことよりずっと深刻な問題が実は目の前にあった。それは「傘がない」ことだった。
外を見ると雨が降っている(たぶん土砂降り)。今日は彼女とのデートだが、さすべく傘がない。
陽水さん(仮)は真剣である。どのぐらい真剣かと言うと、
行かなくっちゃ、どうしても行かなくっちゃ、彼女に会いに行かなくっちゃ、ずぶ濡れになっても行かなくっちゃ、ぐらい真剣に行かねばならないのだが、だけど傘が無い~~~!という歌である。(最後になると「傘がないぃぃぃ~~~!」と絶叫)
いったいこの歌は何なんだ。
ツッコミどころ満載である。
1.なぜ傘が、家に1本もないのか。
(当時はコンビニや100円傘が無かったとしても、大抵の家には傘が一本位はあるのでは。)
2.約束の時間を遅らせるとか、朝のうちに連絡すればよかったのでは。
(当時は携帯が無いので急には無理でも、家や大家さんの所には電話があったはず。)
3.「どうしても今日何が何でも行かなくっちゃ」という深刻な事情でもあったの?
(彼女は近々遠い町に越してしまうのだろうか?この真剣さは西城秀樹のローラのよう。)
私が想像するに、この主人公(陽水さん(仮))は、この前の日の晩に、別の友人と深酒をしてしまった。もともと三畳一間のアパート暮らしの陽水さんは、傘を2本も3本も買うお金がない。それで(当時は100均一の店もないので)傘を1本しか持っておらず、その大切な傘を、昨夜飲み屋に置いてきてしまったのだ。(この段階でもう傘よりも飲みを優先する飲んべえだと推測する。)
それでも、朝のうちに天気予報を見て、公衆電話から彼女の家(一人暮らしなら大家さんの所)に電話をして「傘が無いから降ったら少し送れるかもしれない」と伝えておけばよかったのに、深酒の翌日、うっかり寝過ごしてしまったのだろう。それで飛び起きたら、もう約束の時間になっていた。彼女は既に待ち合わせ場所におり、どうにもこうにも連絡を取ることができない。今から行っても1時間ぐらいは掛かってしまうだろう、この雨の中をそんなに待たせる訳にはいかない!それで慌てふためいて「傘がない~~!!それでも行かなくては!!ずぶ濡れになっても行かなくては!」と大騒ぎしているのではなかろうか。
そしてこの歌の裏テーマとして、「若者の自殺の増加よりも恋愛を優先する若者」への皮肉もこめられている。だがしかし、根本的な問題は陽水さん(仮)の、日ごろの準備不足(傘が無い)ことと、当日の寝坊ではないかと思うのであった。。。
and、当時は傘はそんなに買うのが大変だったのだろうか。(1972年)
今日はそんなことを思いながら、会社に着いた。
花屑や屋根に降りいて終の舞
(季語:花屑 私ももう花屑のような残りの人生か・・という意味合いも込めてみた。)