実はバレンタインに合わせて、前々から用意していた写真です。
周囲にハートを散りばめようか?とも思いましたが、シンプルに収めてみました。
でも、写真を見るのもショックです。。。今は。。。(-_-;)
おめでたいバレンタインの日にこんな心境で申し訳ありませんです。
今回はカメラを落としてしまって、食事もノドを通らないかもしれない(実際はなぜかお弁当完食)気持ちの中で、本当に自分が情けないと思うんです。たかが(?)生き死にの問題でもないのに、こんなに後悔して凹むなんて、いったい私は50年以上も生きていてどうしたんかい、と思うんです。
自分の落ち度ですら、こうですから、これ息子が落としたとかだったら延々と責めていたかもしれません。そう思うと情けなくなります。もう終わったことにいつまでも延々と考える粘着気質。
日頃偉そうなことばかり言いやがって、どうしてこんなに情けない人間なんだろう、と思うんです。
ふと思ったんだけど、社長始め会社の経営者なんて、こんなことばかりあるんだろうなと思います。部下の失敗、貴重な無駄な出費もあることでしょう。こんなことでいちいち考え込んでいたら、年がら年中で頭がおかしくなりますよね。私は普段そういうことがほとんど無いから、ひとたびこういうショッキングなことが起こると、大騒ぎになるんです。(-_-;)
でも人に迷惑掛けている訳じゃないし、誰かがケガや病気をした訳でもない。。。。縁や運命と言う考え方も参考にして、前に進まねば。。。
こんな今日、たまたま先ほど見ていたサイトが、今の自分とピタッとはまったので、紹介しようと思います。
(私がたまたまハマっただけですよ。)
コロナワクチンの訴訟を起こしているナカムラクリニックの中村先生のブログ(note)です。中村先生のこちらのブログが一つ一つ面白いので、またあちこちで引用されているので、よく読んでいるのですが、今日のは特にワクチンとは別の意味で、すごく心に沁みました。
コロナワクチンのスピリチュアル的な意味
中村先生があるスピリチュアルな方(A氏)とお話したところ、A氏さんは「もはやワクチンを止めることには意味が無いかもしれない。何故ならそれが無くても、さまざまな事情で地球上に生き残る人とそうでない人はもう運命づけられているから。」というお話をされたという内容です。(間違った要約でしたらごめんなさい。)
何が何でも長生きするだけが正しい訳でもないし、そうかもしれないなと妙に納得しました。本当に噂される通り地球上で多くの人がお亡くなりになるようなことがあったら、例え生き残ってもかえって辛いことになると思うから。
家族を始めとして、妹家族や友達がいない世界に一人で生きる意味は私にはないから。
そうやって結局は運命を受け入れることしかないのではないかと考えると、先の戦争もよく分かりますよね。どうしてあんな戦争を、多くの人が暴動してでも反対しなかったのか、若者が飛行兵になるのを親が止めなかったのかとか。
私達って、「何をされたか」より、「何をしたか」の方が大切なのではないか。
日本人として。
先の時代を生きた若者や、子供を見送った親の気持ちとか。
ちなみに話は戻って、上の写真のコウペンちゃんの赤いプレゼント、ホチキスの小さい箱を半分に切って作ったんです。(^^;
赤い包み紙は会社に届いたお年賀の包み紙。
リボンは他の細いリボンをそれっぽく折ってガチャガチャ縫ってみました。
本当は100均(ダイソー)でハートのふわふわした綿を買おうかどうか迷いましたが、シンプルなのもストレートでいいかな、って。