昨日はふとしたことがきっかけで、kekeから「自分は被害者」という話を聞く。
「なんで私が加害者で、お前が被害者なのか?」と言うと、私が離婚したせいで、自分は子供の頃から言われもないようなことを言われて傷ついた、というのである。
「私が好きで離婚した訳じゃない。お父さんが出て行ったんだよ」と言っても、「そういう人と結婚したのは自分じゃないか」と言い、こんな不幸な人生だったら生まれて来ない方がよかった・・・とまでは言わないけれど、そう思っているのはミエミエである。
自分自身も「生まれてよかった」とは思えないから、そう思うのも仕方ないけれど、当時の自分のことを思うと涙が出てしまう。kekeは「あなたが一人で育ててくれたのは分かっているけど、その一方で自分は被害者だと思っている」「それは分かってほしい」と言う。
と言うことは、この先も、私が認知症になって、分からないまま何をするかも分からなくなったら、やはりkekeはまた自分は被害者だと考えるのではなかろうか。そうなる前に、そういう芽が出つつある前にこの世からオサラバしたいものだと思う。(が、安楽死制度が無いのでどうにもならないが。)
kekeも言っていたが、今でこそシングルマザーという言葉があり、一定の認識ができたけれど、当時はそうではなかった。片親はクラスに一人だった。担任の先生に尋ねると「一人なんてことはないのですが・・・そういえばkeke君だけですね」と、何年生の時も言っていた。
しかしあれから20年以上の歳月が流れて、この年になって今でも自分は被害者だと思うのか?!と言うが、そうらしい。それでまた、「もっとお金がある家庭だったら」自分の人生は変わっていたと言う。
何を言うか。私は当時を覚えているぞ。赤ペン先生だってやりたいと言えばやらせたし、立派な図鑑を揃えた所で当時のkekeがそれを全部読んで天才になったとはとても思えない。確かに塾はお金が掛かるから中3だけだったし、「図鑑を読むような子供に育てなかったのはアナタなのでは」と言うだろうけれど。
あー、本当に、人間とはどんな因果を持ってこの世に生まれてきてしまったのだろう。
三途の川を渡る前に「楽しんできたか」と訊かれて、「楽しめました」とは口が裂けても言えない。かと言って、もうこの世には戻りたくない。
ひと世代違うのだから何を言ってもしょうがないけれど、あの「自分は被害者」「親ガチャがはずれた」と未だに思っているのは何なのだろう。もういい年なのだから「そういう環境を背負いながらも自分の人生をまっすぐ生きる」と言う風にはならないのか。それが一人暮らしを始めるということなのだろうか。
そう言えば先日も友人Uちゃんと話していたら、Uちゃんの高校時代の友人の旦那さんが病気で亡くなったそうである。61歳だとか。それも病気が分かって入院して2週間だったとか。親なんていつまで生きているか分からないのに。
Uちゃんは、家にまだお父さんやお母さんのものもあって処分をどうしようかと言っている。定年になったら片付けるつもりだったけれど、「それ無理よ、業者に頼めば1日だから」とアドバイスをされたと言う。200万だって。
つくづく「人は自分は死なないと思っているからね」と言っていた。
私もそうだ。もうじき迎えが来る来ると口では言うけれど、死なないと思っているから、雑誌も何も片付けていない。まだこの先読む時もあると心のどこかで思っているのだ。
子供が増えないのは、お金が無いと育てられない以上に、お金がないと十分な環境を子供に与えられないと考えるから。そういう社会だから。本当にお金の潤沢さが、子供の幸せを決めるのか??そんなことを訊かなかったけれど、kekeは言うだろう。そうだよ、だから自分は子供を幸せには育てられない、だから諦めていると。
keke曰く、私が自分(keke)に「離婚してから一人であなたを育ててきたでしょ」と言うのは、誤って車で人を殺してしまった場合の遺族に「もう刑期が済んだから私は悪くない」と面と向かって言っているのと、同じ意味なのだそうである。
本当にそれと、これは同じなのかなぁ。。。。