きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

カレーのその後の記憶

2024-02-26 | 日記

社長も帰って、みんなも帰るというので、(今日は帰ったらカレーを温めれば食べられるんだっけ)と考えていると、朝たしかカレーを温めるべく火を入れてからの記憶がない。
ちょっと火を入れて、お弁当の写真を撮らなきゃと思いながら、「他の事を始めると忘れちゃうから、換気扇マックス音でつけておこう」と思ってからのカレーに関する記憶がまったく無い。

(もしかしたら火を消し忘れたのかも・・)(でも換気扇の音にどうして気がつかなかったんだろう)と思いながら、kekeにラインを送るもkekeも何も注意していなかったそうで、まさかずっとつけっぱなしなのでは?!「でも自動で火が消えるはずだから鍋が焦げるだけだから大丈夫」と送るも、3分早く会社を出て帰ることにした。

(どうしてこう、あっちでもこっちでもやらかすのだろう・・)と思いながら慌てて家に帰って、kekeにガス台はどうだった?と訊くと何も異常ナシのようで、本当に何も起きていなかった。
現場の状況から想像できることは、「カレーを温めなきゃ」と思いながら他のことを考えてしまい、火をつけることすらもう忘れていたらしい。。。

ともあれ、何事も無くてよかった。
また今日も明日もこの家に住めてよかった。
年を取ると思うようにできないことがどんどん増えるから、当たり前の全てのことが愛おしくなるのだろうか。

kekeに「これからは家を出る前にガスの火を確認してほしい」というと、しぶしぶ返事をしていた。たぶん解釈すると「自分はいつまでこの家にいるか分からないから自分を頼らないでほしい」と言いたいのだろう。

年を取ってからの一人暮らしは想像以上に大変なのかも・・・。
自分ひとりしかいない。
ガスの火を消し忘れても誰も気に留める人はいない。フォローも何も無い。
kekeだって気をつけている訳ではないから、結局は今もみんな自分でやっているのだけど、それでもやっぱりセーフティネットというか、誰かがいてくれるとやっぱり違うと思う。

でも、kekeの足出まといになる訳には行かないから、ちゃんと一人でやらなきゃね。

その後の私の人生って、いったい何なのかな・・・??

今日は会社でも私のうっかりミスのせいで、お客様に渡す書類を作り直すことになった。それもまた私が勘違いしていて、来てから更に作ることになってしまった。その間、社長がお話をしててくれたのだけど、抗がん剤の話になっていた。
社長が知り合いの先生から抗がん剤の話を聞いて、その話をしていたけれど、やっぱり近藤誠先生の本の話と同じようなことを語っていた。果たしてこれから抗がん剤や、医療は、どういう方向に進んでいくのだろう。でもまさか社長がそんな話をするなんて。

やっぱり今、世界は何か変わっているように思う。
今まで隠されていたいろんな情報が表に出つつあるのかも。。。


今日のツマミ。これに昨日のカレーの残りを食べて、ポッキーも食べた。
あっちもこっちも、これからは気をつけよう。


怒られ慣れ

2024-02-26 | 女だから思ったこと


今日はスマホで撮るだけで精一杯だった写真。月曜日のハンバーグ確率高し。
自分の方はご飯が少ないから、冷凍してあるパンか、昨日作ったプリンを持って行くつもりが、すっかり忘れてしまった。最近はひらめきをその場で処理しないと、次の瞬間にはもう忘れてしまうんだよね。

今日は朝から会社さんから言われて修正した書類の間違いが原因でいろんな作業が中断してしまい、社長がよその会社の社長さんに怒って電話をしていた。

そんなことを1時間以上やっていて、(やっとこのまま進めていいことになって良かった)とS君に連絡したりしていたのだが・・・ここに来てその朝から始まったゴタゴタの原因が、なんと!!実は自分が作った書類が原因だったことが判明してしまった。最初にそれに気づいていればこんなことにならなかったのに、誤解が誤解を生み、社外の何も悪くない方にまで波及していたのだ。。。。

自分だけがその事実に気が付いた時(ドヒャー\(◎o◎)/!)と思い、このまま黙ってシラバっくれようかと言うのも頭をかすめたが、(言うことで、かえってまた揉めないかな)と思いつつ、本当のことを話して、その後はいろんな人に謝るor報告することになったけれど、全てが白日の下にさらされ、落ち着いて良かったです。

その時は例え怒られても、正直に言ってしまった方がその後は楽かも。特に私は生まれながら怒られ慣れしているので、自分が悪くて怒られることは、それほど堪えないと言うか、まして自分が悪いなら仕方ないと思える。そして最近になると、シュンとしている自分をもう一人の自分が客観的に見ていて(実はこの人半分演技で本当はたいして堪えていないんだよね)と囁いたりして、ほくそ笑んでいる自分がいたりする。

怒られ慣れしているのは、両親が年がら年中私を怒って説教していたからだと思うけれど、私はそういうスポンジみたいな役目が得意だった。何か言っても平気そうに見えるみたいで、ピアノの先生も妹には怒れないけれど、sakeちゃんは怒れると言っていた。

そんなスポンジみたいな自分が嫌いで、嫌で、本当に生きていくのが嫌だった。かと言ってどうしたら妹みたいに怒られなくて済むのかと言う分析もしなかったし(そういうことをするのが卑怯な気がしていた)、自分が嫌いだったから、もっともっと怒られてしまえばいいと思って、怒られることで安定していたような気がする。
自分が怒られていれば、家族一家が平和になっているような気もした。

そんな自分の怒られ慣れだけど、ここに来てそれも悪い事ばっかりじゃなかったな、と思う。怒られてもいいから正直に言っておこうと思えるのは、怒られ慣れしていて怒られるのが怖くないから。

でも、相手のヒステリックからの理不尽な怒られ方はまた別。
それもだんだん最近、言い返せるようになってきた。
噛みつかれれば噛み返す。踏みつけられたら足をすくう。(by中島みゆき)
大丈夫だよ、私。

やっぱり繊細さんじゃないかも。