去年はこの時期、目医者に通った。
ある日突然まぶたが腫れあがってしまったのだ。目医者で花粉症のアレルギーではないか?とのことで、目薬を処方してもらったら、あっという間に治ってしまった。
それで今年は、花粉症が始まる頃から目薬をつけている。
目薬と言っても、涙に近い成分でコンタクトを使う人用の乾燥予防用のもの。
防腐剤が入っていないので、10日以上は使えず捨てないとならない。でもこれで花粉を流せればいいかなと思って、また同じのを買うことにした。(4本入りで700円ぐらい)
今日、ちょっと寄ったドラッグストアで探してみると、「あった!!」
と思ったら、何と!パッケージがドラえもんになっている!!
携帯袋もドラえもん。
(え~~~何これ~~~かわいい~~~><)
でもまてよ?本当にいつものと同じ目薬なのかな~?と思い、その奥にあるいつもの目薬の箱を見比べてみた。
賞味期限も同じだし、成分も同じ、値段も同じだよね?(丹念に二つを見比べる)
やった~~~
ドラえもんの目薬だ~~ラッキー~~~しかも最後の一箱だよ。
今日はこの気持ちを表現したい!と思いつつ・・・でも「目薬」?「ドラえもん」??それをつなげる季語??
「季語+目薬の箱ドラえもん」
いやぁ~さすがにこれはないよなぁ・・・(+_+)感動を表現したかったですが。。。
もしかして目薬も季語かな~と思って、検索してみると季語ではないようですが、目薬の句がいっぱいヒットしました。
目薬にふくらむまなこ養花天/片山由美子
養花天って何だろう?と思って検索すると、「サクラの咲くころのくもり空のこと」だとか。
まさに今日の天気は「養花天」なのかぁ~と思ってみたり。。。('_')
また明日も季節の新しい発見を表現してみたいです。
「養花天」のことを「花曇り」ともいいますね。
「片山由美子」さんは、物をよく観察して即物的に基づいて作句される方で、かつての私の句会の先生は作句の手本にするようにと指導されていました。
つまり、物に托して句を詠む、その中に感情もちゃんと入る情景を書くのですね。
手前味噌ですが、私の角川入選句にこんな句があります。
悲しい、とかいう感情は一切書いていませんが、物に托して詠んでみたのがこんな句です。
つまり、観察句です。
「新盆の遺影の前の哺乳瓶」 まこ
ただ目の目の前にあるものを並べただけですね。それでも佳句になるんですね。
それは「新盆」という季語の持つ意味の手柄である訳です。
私には逆縁の孫がいます。女の子でした。
新盆を迎えて仏前の前に座らせて貰うと、遺影と、お花と、玩具と、ミルクの入った哺乳瓶がお供えしてありました。
「哺乳瓶」で、どの年齢の子が亡くなったかも解りますね。
その哺乳瓶を見た時また新たにボロボロ泪がこぼれました。
娘の気持ちを思うと、ほんとにやりきれないのでした。
そんな経緯もあって、今は団子threeボーイズの「ばぁば」に成らせて貰った訳ですが、今でもあの時の情景や諸々の情景が浮かんできては目頭が熱くなります。
とまぁ、「物に托して、感情は季語に任せる」という作句例としてここに書かせていただきました・・^^;
強いて言えば、新盆という季語を選んだ手柄ともいえますね。
で、ここからが本題ですね。
sakeさんは、ドラえもんの目薬で気分が明るくなったんですよね。
とすると、「養花天」はその感情には合わない季語を使おうとしたので、句が浮かんでこなかったのだと思いますね。
「養花天」の持つ意味も調べてお解りになったことでしょうが、桜が咲く頃の「曇天」のことで、・・「何となく頭が重い感じで、空が冷え冷えとしていながら軽い汗ばみを覚える」と書かれています(角川書店・合本俳句歳時記・第三版)
ということは、マイナーな気分を表現する季語とも言えますね。
でもsakeさんは、ドラえもん目薬を見つけて「ラッキー!」となった訳ですから、相反する季語にある訳ですね。
「だから句に出来なかった」それで正解だったと思いますね^^v
ここで、片山さんの句について鑑賞してみましょうか。
花曇りのことを気象的に言うと、「風も弱く、時々小雨の降るよな場合、移動性高気圧が通り過ぎたあと、弱い低気圧や不連続線などの直前に起こる。
ということで、ラッキーとは相反していますものね。
人間は心身共には気象に敏感で、「気象病」という病もあるくらいです。
私の腰痛も期初病で気圧が下がる、つまり明日雨の日になるとか、台風の時なんかがMAX状態です・・余談^^;
と、そんな訳ですから、逆にsakeさんが句が浮かんできたら、それは結論としてNG句、夏井さん、なっちゃん先生なら、凡人以下の句として末席に、でしょうね^^;
ですから句に出来なくて、むしろ正解だと^^v
さい先、いいですね^^v
またまた、偉そうに書いてしまってごめんなさいね。
私の言ってる意味が通じなかったら私の文章力にも非が或る由にご容赦を^^;
そこがsakeさんらしいのかな?
言葉と季節で表現する しかもたった17文字で。
そういう文化は世界中で日本だけでしょうね?
なんか嬉しいですね
わざわざドラえもんグッズを(財布とかポーチ)を持ち歩こうとは思いませんが
そういうのは自慢したくなりますね
昨日はまさに花曇りという天気でした。しめっぽい空模様でしたよ。
日々、うれしかったことや驚いたこと、17文字で表現する俳句の世界、言わないから想像したり情景が浮かんだり面白いものですね。
昨日は目薬のドラえもんに喜んで一句読みたかったですが、「目薬の箱どらえもん」でもう12文字。その上に季語を入れなければならないのですから、これを詠むのは無理かなぁ~と思ったんです。
季語も心境を伝える術になるんですね。
makoさんにお孫さんを亡くされたことがあったとは知りませんでした。私も流産の時でもしばらく落ち込んでいましたから、生まれた赤ちゃんだったら、どのようなものかと思います。
目薬で検索して何となく参考にした句でしたが、makoさんは片山由美子さんをご存じだったんですね。^^私は超有名な芭蕉とか、正岡子規ぐらいしか知らないんです。
俳句でもお師匠さんがたくさんいらっしゃるんですね。それぞれ個性も見方も違う・・・私にはまださっぱり分かりませんが。。。
また今日も「こんな瞬間に俳句をよみたい!!」という瞬間がありました。
今はまだ言葉になりません。575が語呂合わせだと思っていたころはスラスラ何でも出てくるけれど、一歩踏み込むと全然ことばが出ませんね。
くどくど説明しないと状況を表現できないからでしょうね。^^
またmakoさんの句を楽しみにしていますね。^^
気持ちはあるんだけど、言葉がなかなか収まりません。俳句って難しいものなんですね。季語5文字とするとあと12文字しかないのですから。
世界で同じような文化ってあるのでしょうかね?私も日本だけのような気がします。同じ音(ひらがな)でもいろんな意味があり、季語があって季節を感じ取れる・・平安時代、いやもっと前から?そういう心があって文化が受け継がれてきたって、考えればすごいことですよね!
ちょっと障りだけやってみたくなりました。^^気持ちだけで終わってしまうかもしれませんが。。。
趣味で忙しくて、家で落ち着かないという・・・うれしいような悲鳴です。(;^_^A
そうなんです、たまたま買おうと思ったものが思いもよらぬドラえもんのデザインだった・・・!ちょっとラッキーと思ってしまいました。('◇')
昨日言い忘れてしまったけれど、今日帰ったら息子に自慢してみようと思います。きっと「くだらない」と言われるとは思いますが。
私の母もこういう小さいことで喜んでいる人でした。当時ハタチぐらいの自分は「なんてくだらないことで喜ぶ人なんだろう」って思っていたんです。でも、そういうのを見つけられるのも能力だと最近気が付きました。
息子kekeも、があこさんの息子さんも、こういう風な小さなことに喜べる風になるといいなぁと思います。今はなかなかバカにされてスルーされると思うけれど、私の母のように言い続けていると、いつかわかる日が来るかも??
そういう考え方が生まれてきたら、生きていくの楽しくなるような気がするんです。ちょっとお節介でしょうか?(;^_^A
自分がそうだったので、書いてしまいました。