徳川頼宣(紀州徳川家祖)の室あま姫は加藤清正の正室正應院の子と伝えられて
いる。一方水野和泉守女清浄院とする説もある。
正應院は加藤家お家騒動「牛方、馬方の内紛」で罪を得た玉目丹波の女である。
紀伊徳川家にとっては正室が罪人の孫娘ではまずかったのだろうか?
阿蘇の蘇陽の人達は徳川将軍家に玉目氏の血が流れていることを誇りにしている。
(水野勝之・福田正秀共著「加藤清正妻子の研究」が、2007/10/1発刊され疑問は氷解した。清浄院は水野忠重女であり、徳川家康生母お大の方の姪である。加藤清正の正室であり、あま姫(遥林院)は清浄院の間違いのない子供である。その故の徳川頼宣への輿入れと成った。正應院は加藤忠廣の生母であり、忠廣の配流先で共に過ごした。 2008/5/12)
いる。一方水野和泉守女清浄院とする説もある。
正應院は加藤家お家騒動「牛方、馬方の内紛」で罪を得た玉目丹波の女である。
紀伊徳川家にとっては正室が罪人の孫娘ではまずかったのだろうか?
阿蘇の蘇陽の人達は徳川将軍家に玉目氏の血が流れていることを誇りにしている。
(水野勝之・福田正秀共著「加藤清正妻子の研究」が、2007/10/1発刊され疑問は氷解した。清浄院は水野忠重女であり、徳川家康生母お大の方の姪である。加藤清正の正室であり、あま姫(遥林院)は清浄院の間違いのない子供である。その故の徳川頼宣への輿入れと成った。正應院は加藤忠廣の生母であり、忠廣の配流先で共に過ごした。 2008/5/12)