細川家家臣略歴を眺めている。平山家というお宅があり、その家祖は木下内記とある。またまたひらめくものがあった。これは足守木下家か日出木下家に係わりある人ではないのか・・・。いろいろぐぐっていたら足守木下家に「内記藤栄」という人がいた。これまた先祖附で確認しなければ成らないが、まずは間違いないのではないかと思っている。
+---木下家定---+---勝俊(長嘯子)
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| 豊臣秀吉 +---利房---+---利當(備中足守藩主)---利定---+---公定
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+---高台院=================+---利次(旗本3,000石) +---藤栄(内記)
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細川藤孝--------+---忠興-----忠利
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| | +----於岩 松平忠重室
| | | (上総佐貫→駿河田中→遠江掛川藩主)
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| | +----於豊 木下利當室(備中足守藩主)
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| +---加賀---+----於栗 (梅松院室)
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+----木下延俊
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| ●----+---俊治・・・・・・・・・・・・・・→(豊後日出藩主)
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| +---延次・・・・・・・・・・・・・・→(寄合交代衆)
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| +---三郎左衛門・・・・・・・・→(細川家臣・木下家)
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+---小早川秀秋
一昨日、私からすると再従兄弟のご子息に四十年振りにお目にかかった。私が書いたブログの断片的な情報を綜合して、お名指しでメールをいただいた時には、飛び上がらんばかりの驚きであった。墓参の為に来熊されるというのでお目にかかると、おなじDNAを持つ間柄だからすっかり打ち解けて、楽しい数時間を過した。お家は長曾我部一族のH家(家老)、長曾我部家没落後加藤家に仕えて1,000石、加藤家没落により浪人し、細川家に仕えた。随分古い家系圖があることは話に聞いていたが、これを見ることが出来た。長曾我部氏は秦河勝の子孫だと伝えられているが、H家の系図もそうである。さらに遡って除福の名前が見える。(承知はしていたがびっくり)
我が家とH家は、母の実家T家とともに数代に渡っての婚姻関係によって、200年以上のお付き合いがある。祖母(T家)と30年以上起居を共にして、古い親戚との付き合いがあったことによる今回の再会である。
いささか過したお酒が、いろいろな驚きとともに酔いも増幅した感じであった。
我が家とH家は、母の実家T家とともに数代に渡っての婚姻関係によって、200年以上のお付き合いがある。祖母(T家)と30年以上起居を共にして、古い親戚との付き合いがあったことによる今回の再会である。
いささか過したお酒が、いろいろな驚きとともに酔いも増幅した感じであった。
今月も皆勤賞を目指して、そろそろブログを書かねばと思っていた矢先、急用が勃発外出してご帰宅は日が変わっていた。見上げると大きなまん丸のお月様である。満月の日に「欠け」とは洒落にもならない。