鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.131『イエスの名によるしるしは創主からのもの』(10章)

2006年03月25日 | ヨハネ伝解読

~~ヨハネ伝は深いですね。
 今日も読んでみましょう。


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=聖句=
  「私(イエス)が父の名によってしているすべてのわざが、わたしのこと(創造主の子であること)をあかししています」(10章25節)
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 22節以降に入りましょう。ここで
もイエスは、むずかしいことを言っていますねえ。
 まず、ユダヤ人たちが

 「(自分は門だの羊飼いだのとおっしゃいますが)、要するにあなたは救い主なのかそうでないのか。結論をはっきり言ってくれ」という(24節)。

 ~~イエスは答えます。

 「そのことはもう言ったではないか。諸君が信じないんで結論が見えないだけなんだよ」と(25節)。

~~続いて
  「私が父なる創主の権威でもって行っていること(奇跡、しるし)が、私のこと(その父の子が地上にきた救い主であるること)を証言しているのに」と言います。

 イエスはここで「自分の行う奇跡は創造主の権威でもって行っているものなんだ」と言っている。こんなことどうして言えるんでしょうかねえ。

 その理由は、この段階では結論だけを言うことしかできませんが、言っておくしかありません。それはこれをしている方が「イエスという名」をもっていることによります。イエスの名が、悪霊の仕業かそうでないかを識別するポイントなのです。

 ここでは、その「名」に関することが隠れているのです。イエス自身がそれをしているから、彼自身がイエスという「名」をもってやっていますから、敢えてここではいわれません。

 イエスはただ、「わたしが行っていることが、創り主の権威で行っていること」とだけ、言っています。


                    



 創り主の権威が「名」にあるということは、意味深いです。
それは創り主の権威で行うことは、イエスご自身によるものだけではないことをも示しています。

 決め手は「名」ですからね。ある人が創主の名・イエスによって癒しをなした場合も、それは創主の権威、承認がその人にある、ということを示しています。悪霊によるものではないことになります。

 こういう明確な識別手段が与えられていますから、福音において、癒し、しるしを怖がることはないのです。

 とりわけ教職者は、今はしるしを現すことが出来なくとも、いつか自分を通して現れることを、望み続けるべきです。心配しなくてもいいです。癒しが出来ない牧者は、現代では圧倒的に多数派ですから。

                    

コメント
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