鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.120「15章 信教自由はどう実現されたか」(7)~現代日本の信教自由風景~

2012年04月03日 | 「幸せ社会の編成原理」

  
      
      
       
いま我々日本人も信教自由が認められた国家に住んでいます。
信教自由は思想・言論・出版の自由に直結していますから、その自由も享受しているわけです。

ただし我々の場合はこの制度を歴史的偶然によって只で手に入れています。
第二次大戦での敗戦によって、日本は昭和26年までアメリカ占領軍政府の統治下におかれました。
GHQ総司令長官マッカーサーは戦前の大日本帝国憲法を廃し、新たな日本国憲法案の作成を
部下に命じました。
担当者たちは米国憲法に書き込まれている信教自由、言論思想自由の条項を
ほとんど新憲法案に写し取り、占領下の日本政府はそれをほとんどそのまま押し戴きました。

われわれはこれらの条項が創始者のすさまじい忍耐と流血の犠牲によって
この世に出現したものであることなど全然知りません。
ましてやそのために血を流して戦ったことなどなく、ただ占領軍に従順にしているだけで
ちゃっかり手に入れることが出来た。

世界では今も信教自由が存在しない国の方が圧倒的に多いなかで、
それをあたかも空気のように、当たり前であるかのごとくエンジョイしています。

これはもう仕方ないことでもあります。
テレビのある時代に産まれた子供にはテレビがあることが当たり前なのですから。

+++

 だがことをそれで終わらせないで、そこから救い出してくれるものがある。
それが「知識」です。

読者はもうおわかりでしょうが、この制度を現実社会の中で十全に機能させるには、
創始者たちが抱き続けた精神を理解することが必須です。
そしてそれには聖句主義活動史を知り、その精神的資質の幾ばくかを最低限身につけることが
必要なのです。

そんなことなどつゆ知らず果実だけを楽しんできた。
それが現代日本の風景ではありますが。
そしてその無識が福島原発事故につながったのですけれど・・・。
 
        +++
      
~以上で「第三部 いざ、幸せ社会」は終わりです。

これから「第四部 歴史の恵み」に入ります。その部でもって本書は終わります。



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Vol.119「15章 信教自由はどう実現されたか」(6)~マディソン、権利章典案を説き続ける~

2012年04月03日 | 「幸せ社会の編成原理」

        
        


数週間後、憲法修正会議が開催されました。
バージニアは下院で速やかに20条項からなる権利章典のバージニア州案を提案しました。
ジェームズ・マディソンが黄金の声で読み上げました。
そこには政教分離の条項が含まれていました。

対して、国定宗教案も出ました。
聖公会(英国国教会)、長老派、組合派それにバプテスト派を公定教派とし、
国民はそのうちの好きな教派を指定して教会税を支払うという案でした。

これはバプテスト派にとっても満足できる案に見えました。
バプテスト信徒はバプテスト派を指定して宗教税を払えるからいいではないか。
他の三教派を支持する人々も各々それを指定して納税できる自由がある。

これ以上の案はないように見えました。
雄弁の天才パトリック・ヘンリーはこの案を強烈に支持しました。

聖公会、長老派、組合派はこの案を受け入れました。
だがバプテスト聖句主義者は拒否しこの案に反対しました。
彼らは教会運営資金が、税という国家の強制力を使う手段でもって調達されることに
危険を見ていました。

+++

ヘンリーの熱弁は続きました。彼の雄弁で議会はこう着状態に陥りました。
その時、神風が吹いたのかワシントンが動いたのかは定かではありませんが、
ヘンリーにバージニア州知事就任の辞令がおりました。彼は議会を去りました。

 マディソンは宣言しました~
「きわめて多くの有権者が新憲法に満足できない点ありと思っている。
その人々は能力と愛国心と自由への熟慮で尊敬を受けている人たちである」~と。

マディソンのこの言葉はバージニアのバプテスト有権者と全米の聖句主義者の魂の
宣言でもありました。そして彼は改めて政教分離の必要を説きました。

政教分離の論理を理解できない議員は依然多くいました。
彼らはただただ反対の罵声を浴びせ続けました。
怒号と罵声が飛び交う中でマディソンはバージニア案を主張し続けました。

その状況のなかでバージニア案を修正しようという意見がでました。
バージニア案は10項目の連邦権利章典案に修正されました。
その修正案が上院も通過したのです。

そして1791年、全州の3分の2がそれを承認するに至りました。

不可能な夢が可能に転ずる奇跡が起きたのです。
新しい権利章典が修正条項として憲法に追加されました。
政治が宗教に干渉するを許さないという、そういう原則を持った国家がこの地上に出現する
という奇跡がついに起きたのです。


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Vol.118「15章 信教自由はどう実現されたか」(5)~大統領ワシントン、政教分離支持に回る~

2012年04月03日 | 「幸せ社会の編成原理」

  

      
       
独立戦争開始時点に一般人の抱いていた聖句主義者のイメージは、
「各々が勝手に行動する無政府主義者」でした。
信仰心は熱いが激情的である。接した人間すべての喉に聖句を詰め込もうとする
お節介野郎でもある~こういうイメージでした。

だが大統領となった頃のワシントンは、聖句主義者の実態は世間の通念とかけ離れていると
思うようになっていました。

首都にやってきた聖句主義者を彼は温かく迎えました。
そして彼らの話を信頼して聞いた。
聞くだけでなく、彼はことある毎にバプテスト教会の指導者を新政府の議員たちに紹介しました。

彼らの話を聞くようにとの助言を添えて会わせました。
こうして聖句主義者の考えは新国家の議員たちにも影響を与えるようになっていきました。

1789年、大統領就任数ヶ月後のワシントンに、バージニアバプテスト教会連合委員会は
一通の文書を提出しました。
著者はバプテスト教会のジョン・リーランド長老でした。
その文書は、ワシントン賛辞の名文とともに、新憲法では信教の自由は保護されていない
と訴えていました。

ワシントンはこたえました。
~たとえ一教派だけに対してでも、法文にその信教自由を危険にさらす可能性がある場合、
自分はそれに決してサインしない、~と。

また今この時点でも政府が信仰自由を不安定にするようなことを見たら、
直ちにそうした精神的暴政をさしとめる~とも約束しました。

大統領はバイブリシストの側に立ったのです。



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Vol.117「15章 信教自由はどう実現されたか」(4)~ 独立戦争を想起しワシントン感動す~

2012年04月03日 | 「幸せ社会の編成原理」

        
       


この頃、またも人知を越えた力かと思わせるようなことがおきました。
ワシントンの心のなかに聖句主義者への好意の感情が芽生えはじめたのです。

前述のように彼は独立戦争中には植民地大陸軍の総司令官でした。
大陸軍は兵士を集めねばならず、募集にはいのちを危険にさらすに足たるインセンティブが
必要でした。
独立軍政府は、3年間兵士として戦ったら広大な農地を無償で与えるという条件で
一般から兵を募集しました。

このとき聖句主義者のとった行動は特異でした。
バプテスト教会からは、そうした物的見返りを二の次の動機とした志願兵がたくさん出たのです。
加えて彼らの戦いぶりは群を抜いて勇敢でした。

兵士だけではなかった。
今もそうですが米国は戦に際しては従軍牧師をも募集し戦場に派遣します。
彼らは戦場で日曜礼拝を導いたり、戦死した兵士の葬儀をとり行ったりするのです。

従軍牧師は独立戦争においても働きましたが、聖句主義教会からきた彼らの行動には
目を見張るものがありました。

戦場では通常、最前線のテントで兵士が寝泊まりします。
小さなテントの中で数人がすし詰めのようになって並んで眠るのです。
軍医や従軍牧師は後方のテントで生活します。
だが、バプテスト聖句主義教会から来た牧師は兵士とともに最前線に寝泊まりしました。
戦の最中には前線に立って兵士を激励しました。

聖句主義者の州ロードアイランドでは、積極的に息子を戦場に送り出す親が続出しました。
またこの州は、三連隊(合計約6000人)分の兵士の報酬、食料、衣料、武器などの費用を
戦の最初から最後まで提供し続けました。

ワシントンは戦を振り返るにつけ彼らを思い起こすようになりました。
そして~
「バプテストたちは全員残らず市民の自由に対する不動の友だった。
我等が栄光の独立戦争への一貫不変の助け人であった」~と述懐するようになっていました。


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