鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.123 「16章 バイブリシズム史が贈る一般理論」(3)~二つのシステムは併存しうる~

2012年04月04日 | 「幸せ社会の編成原理」

              
       

さらに一般理論を求めて進みましょう。

ピラミッド状に上部に権力統治体を造って「命令=服従」の方式で社会を運営する方式が
管理階層システムです。
対して、命令系統なしで成員の相互連携だけで集団の一体性を維持していく方式が
任意連携システムです。

従来人々は両システムは背反関係にあるから二者択一にしかなり得ないと思ってきました。
だから管理階層システムの統治者は聖句主義者の撲滅につとめました。
そうすることが社会のためだと信じてつとめました。

無政府主義者という非難はその口実の一つという面もありました。

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ところがバイブリシストはそれらは組み合わせて共存させられるということを証明しました。
迫害に耐え続けて任意連携空間を存続させることによって、併存できることを
結果的に実証してしまった。

そしてついには国家という社会のなかでそれができることを実証しました。
政教分離による信教自由国家は二つのシステムの併存を憲法で保障した社会でもあったのです。

こういう国家の出現が人類社会に貢献するところはとても大きいです。

管理階層システムは国家運営の大枠として必要です。だが、成員の精神活力には害を与えます。
それは「考えない空間」に成員を置くことによって知性を劣化させ、ひいては集団組織全体を
劣化させていきます。

他方、任意連携システムは「考える空間」「自由な精神活動を可能にする空間」を作ります。
それが管理階層組織に内包されると、管理階層システムによって劣化させられる知性を回復させる空間、救済する空間が集団内に出現することになるのです。

信教自由国家は、そういう回復力を備えた社会集団が抑圧されることなく芽生え存続できるような
法的保障をも与えます。
そういう国家が存在できていることが、他の国家にとって目指すべきモデルをプレゼントすることになる。

これだけでも人類への大きな貢献なのです。


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Vol.122 「16章 バイブリシズム史が贈る一般理論」(2)~任意連携体には世界観の共有が必須~

2012年04月04日 | 「幸せ社会の編成原理」

  

      
       
けれども聖句主義者たちは、権力統治体のない任意連携社会を維持してきました。
自由発言の小グループの任意連携でもって集団の一体性が形成できてきました。
なぜでしょうか。

それは成員が全体観(世界観)を緊密に共有していたからです。

聖句主義者の群れは特殊な集団でした。
成員は聖書という書物に真理があると信頼する人々だけでなり、
信頼をもたない人は入ってこない集団でした。

この集団で聖句吟味をしていくと成員の世界観はバラバラにならないで、
むしろ大枠で一致していくのです。

世界観は個々の出来事への全体観となって、物事の意味理解と実践方向を決めていきます。
バイブリシストはそれを共有していたので、親密な一体性をもって速やかな情報交信と
連携行動をとり得たのです。

この歴史が我々に~

「成員間に緊密な全体観の共有があれば、任意連携システムだけでもって
集団の一体性を維持することが可能」

~という一般理論を学ばせてくれます。



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Vol.121 「16章 バイブリシズム史が贈る一般理論」(1)~世界観多様社会では命令系統は必要~

2012年04月04日 | 「幸せ社会の編成原理」

  



この章では、前章までに記したバイブリシストの歴史と、その後の彼らの行動が
示唆してくれる事柄を考えます。
そしてその知恵を出来るだけ一般理論として定着しておこうと思います。
     
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まず最初に、彼らが無政府主義者では全然なかったことを、その名誉のためにも
確認しておきましょう。

部外者は国家権力の消滅を狙っている連中という色眼鏡で彼らを嘲笑気味にながめ、
迫害し続けてきました。
だがそれは誤認もいいところでした。

前述のように米国独立後彼らはバージニアで中央政府案を作成しています。
そこには各州から一定の権力を委任された連邦政府のイメージが描かれていました。
そして彼らはバージニア議会のコスチュームでそれを憲法案制定会議にいち早く提案しています。

無政府主義というのは、こういう統治体がいっせつ存在しない社会を求める思想です。
このひとことからだけでも彼らが無政府主義者だなどというのは、
とんでもない言いがかりであることが自明です。

憲法案の批准がマサチューセッツ州で危機に瀕した時にも彼らの行動はそのことを示しました。

前述のように、バプテスト聖句主義教会の指導者はこのとき急遽動きました。
二人の指導者は憲法案に反対姿勢をとっていた聖句主義代議員たちを
「いま憲法が成立しなかったら、新国家は無政府状態に陥ってしまう」と
二週間かけて説得し続けました。

そういう人々が無政府主義者であるわけがないのです。

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ではあれほどひたむきに自由な任意連携システムを慈しみ守り通した彼らが
連邦政府という権力統治体を積極的にデザインしたのは、なぜでしょうか。
それは~「異なった世界観をもった人々でなる人間集団では、その一体性を維持するには
ある程度の強制力を内包せざるを得ない」~ということを彼らが知っていたからです。

それがこの節での一般理論です。
「命令=服従」の要素をもった管理階層システムは必要になることを彼らは知っていた。
そして国家というのはそういう多様な世界観をもつ成員からなる集団社会なのです。
      
こういうことは旧約聖書を読んでいたら容易に知れることなのです。
聖書はイスラエル民族の歴史記述を通してそれを丁寧に教えてくれます。
だから聖句を吟味する人々は、国家が命令系統を必要とすることを自然に知っていくのです。

同時に、無政府主義というのはナイーブな幻想であることをも具体的かつ詳細に
聖句は知らしめてくれます。

バイブリシストは聖句を入念に吟味しますのでそのことを熟知していました。
だから純朴に無為政府主義思想にかぶれる可能性は一般人よりも小さいのです。
彼らは無政府主義と最も遠い位置にいる人々でした。

にもかかわらず無政府主義者だと迫害され続けて来た。
いかに辛かったことでしょうか。
本書で我々が第一部に見たのはまさにその艱難の歴史でした。



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