鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.134「17章 米国での聖句主義「的」文化」(8)~フラタニティとソロリティ~

2012年04月09日 | 「幸せ社会の編成原理」

  
      
      
        
聖句主義者が社会構造に与えた影響として第一にあげるべきは管理階層社会の中に
任意連携空間を創出したことでしょう。
それによって社会がデュアル化されていく。
彼らは国家の中の信教の領域を自由な任意連携空間にすることでもって、
まず二元社会を出現させました。そしてその空間を憲法によって保障しました。
   
この種の任意連携システムもまた社会に波及しています。
教育の話のついでにその領域を見ますと、大学の場にもそれは出現しています。

米国でも大学は管理階層方式を公的システムとして運営されています。
学校本部が管理階層ピラミッドの頂点に立って全体を統率しています。
学生はその中の一員としてシステムの中に組み込まれています。

だが彼らは同時に任意連携システムにも身をおけるようになっています。
男子学生のフラタニティー(fraternity)と、女子学生のソロリティ(sorority)がその組織です。
そこは政治問題や人生、日々の生活などあらゆるテーマについて彼らが自由に語り合える場です。

もし必要な学校施設や制度改善などを見出したら学校運営当局と交渉します。
学外においても社会に必要な施設や事業があると知ったら、仲間で連携して設計し、
企画書を造って資産家に説明し、必要資金をファンドレイジング(寄付集め)します。

資産家はそれに応えることが多いです。(寄付行為に対して十分に報いる税制もある)
そもそもこの任意連携組織は、愛国的な資産家たちが将来国家を担う若者に
自由な任意連携空間とそれを含んだデュアルシステムの有効性を体験させるために
創設を援助した気配が高いです。

今も彼らの活動は匿名の資産家のボランタリーアソシエーション(任意連携体)によって
資金的に支えられているようです。だからファンドレイジングには結構応じるのです。

支援者だけでなく、フラタニティ、ソロリティ自体も外部者にはなかなか識別しがたい連携体です。
キャンパスのカフェテリア(学生食堂のようなもの)で話し合っている二、三人の会話が
ソロリティーの交流だったりします。
彼らは電話で場所と日時を決めて出会い、情報交換や相談事をしたりしています。

 それが外部者には非常にわかりにくい。
外国人留学生はその連携体をほとんどが知らないままで卒業していきます。
だが任意アソシエーションはいわば公式組織に対する裏組織ですから、
そのわかりにくいところに神髄があって、それでいいわけです。



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Vol.133「17章 米国での聖句主義「的」文化」(7)~聖句主義神学校の土壌~

2012年04月09日 | 「幸せ社会の編成原理」

  
             
      

HBSやサンデルの授業に見るように、聖句主義的教育手法はハーバードで
先駆的になされる傾向があるようです。
そしてそのことは、この大学がもつ濃厚な聖句主義土壌と関係があるように見られます。

この大学はバイブリシズムの神学校に始まっているのです。
組合派(会衆派)だったという説もありますが、表面上のことで実質は聖句主義の学校です。

歴史の部で見たように、大学が立地するボストンはピューリタン(清教徒)が強力に支配していました。
清教徒は教理主義者です。

ハーバードは教理主義の沼の中に咲いた聖句主義の蓮の花でした。
四面を対立思想に取り囲まれていると異質な思想は激しく燃え、純化するものでしょうか。
この学校で培われたバイブリシズム土壌は、米国の学校の中でも独特な濃度を持っています。

一つのエピソードがあります。
清教徒が支配するこの地の植民地政府は、子供を産んだらすぐに洗礼をほどこす幼児洗礼を
親に求めていました。

ところがこの学校の初代学長ヘンリー・ダンスター(Henry Dunster, 1580-1646)は
バイブリシストでした。英国国教会の清教徒僧侶から改宗した筋金入りの聖句主義者だった。
彼は生まれた子供の幼児洗礼を拒否しました。

ボストンの議会(司法権も持っていた)は彼を裁判にかけ、有罪宣告を下しました。
彼は訓告処分となってケンブリッジの地(大学がある)から追放されています。
それでも姿勢を変えない彼に議会がさらに追い打ちをかけようとしたときに、
ダンスターは世を去ったといいいます。

初代学長がバイブリシストであるのに、その神学校が組合派であるわけがありません。
おそらくその土壌が今でも聖句主義的な教育手法をすぐれて生むのでしょう。

     

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Vol.132「17章 米国での聖句主義「的」文化」(6)~サンデルの人気授業も聖句主義方式~

2012年04月09日 | 「幸せ社会の編成原理」

  

             
       
教育方式の聖句主義化はHBSのような大学院だけでなく、学部レベルにも及んでいます。
その一例がご存じハーバード大学サンデル教授の「白熱教室」です。
彼のこの連続講義はNHKテレビによる大々的な放映で日本では文字通り「ご存じ」の授業となりました。
       
彼は「なにが正義か」をテーマにしてかかげ、教室でたとえば次のような問いを学生に投げかけます。

「船が難破しボートに5人が乗って逃れた。だが、それは4人乗りでそのままでいたら
いずれボートは沈んでしまう。このとき一人を殺して4人が助かるのは正義なのか。
一人を選ぶ正しい方法はあるか」~と。
       
あるいは「機会均等とは何か、それが正義ならば人間社会に実現可能なのか」
、「機会均等がいいことならば希望者全員をハーバードに入学させるのが正義ではないのか」~と。
      
彼は受講生にそれらをめぐっての私見を言わせます。
論争になるように、学生の見解を整理し対立させて学生に主張を述べさせます。
機を見て、過去の哲学者が述べてきた古典的知恵を紹介・導入します。

そしていいかげんいわせておいた後、結論めいたことは何も言わないで、
「本日はこれまで」と教室を去っていきます。

どの回にも結論を言わないのが日本人には衝撃だったのでしょう。
週刊誌までこれを話題に特集記事をつくりました。
     
      +++
      
だがこれはHBSと同じく聖句主義的な授業方式なのです。
正確に言うと、前述したHBSの学習の三段階のうちの、個人研究とグループ研究のステップを
省略して、第三段階のクラスディスカッションのやりかたをまねたものです。

そしてHBS方式はバイブリシストの聖句吟味方式のコピーですから、
実質的には教育の聖句主義化の一例となるわけです。

彼が毎回投げかける問い「何が正義か」も、聖句解読と同様に唯一の正解が出せない問いです。
だから学生は際限なく解を求めて思考することになる。
究極解ではなく、それを遠望して進める思考過程で得られる知恵を、価値あるものとする。
この知識の価値に関する思想も聖句吟味方式と同じです。

サンデルの授業は、聖句主義方式が大学の学部の授業にまで波及している一例です。
「正解の出ない問題に対して、自由に意見を言わせ、結論めいたことを言わない、
会としての結論をつくらない」~という方式は聖句主義者が長年続けて来た方式なのです。

またそうである故に、この授業は相応の成果を出すのです。



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